現状と御願い

 

 

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            私儀

壬生之力は、過ぎし2026.7.28にALS(筋萎縮性側索硬化症)の確定診断を受けました。

 つきまして、現在は四肢の運動もたどたどしく、また、呼吸筋の筋力低下を補うため人工呼吸器を装着している状態です。

 小作「叛乱 結城合戦」の執筆は今後とも続行する所存ではありますが、病状の進行具合では長いブランクが発生することも否めないと思われます。

 誠に勝手な御願いですが、そうなったとしても読者の皆様には今後ともお読みいただけますよう伏して御願い申し上げます。何故ならこの執筆が私に残された生き甲斐となっているからです

 今後ともよろしくお願い致します。

     2026.10.12 壬生之力

 

 

 

 

 

 

叛乱 結城合戦 第五十五話

 

 

 

嘉吉元年(1441年)如月 鬼怒川遡行 其の二

 

「河内守殿、今どのあたりでしょうか⋯」

 小一郎が音声忍(おんじょうにん・忍が用いた最小限の低音で特定の相手にだけに情報を伝える声や技術の一種)で尋ねた。

「お前⋯音声忍をつかえるのか、⋯一体なに者だ」

 舳先に立って三艘の舟を指図していた簗田河内守持が驚いて振り返った。

「小一郎はいまは武士だが、元は霞ヶ浦の猟師の長(おさ)よ。長ともなれば、鳥獣に覚られぬように配下に下知を飛ばす。音声忍など朝飯前よ」

 玄明も音声忍で持助に云った。

 三人の男達が声なき声を用いて会話しているのを目の前にした貴雪は面白くないらしく、

「声を出して話せよ⋯悪口を云われててもわたしには判らん」

「貴雪殿の悪口など申しませんよ。ご安心を」

 貴雪を宥めるように小一郎は笑み浮かべて云った。その言い様が更に癪に触ったらしく、

「子供扱いをするな」

 と言い捨て貴雪は艫(とも)に行ってしまった。

 日野俊見が後に従った。

「口先は一丁前だが、まだまだ子どもだな。仕方ないか」

 持助が薄く笑った。

「して⋯河内守殿⋯」

 小一郎が音声忍無しの地声を使った。

「わかっとるよ。場所だろ」

 持助は闇を透かすように鬼怒川の両岸を眺めた。

「上流の左岸に広い湿地があるのが見えるか」

 暗闇の向こうに枯れた葦原の陰影が広がっている。

 小一郎は、長い旅からようやく帰り着いた実感を覚えた。

 湿原は鬼怒川と田川の合流点にあたる。田川が鬼怒川に接するこの地には、現在「久保田水門」が建設され田川治水の要になっている。

 当時の田川は結城城の周りを流れて外堀の体を成し、その一部は城内に引き込まれて内堀を成していた。

「儂らはここより引き返すでな。ここより先は小人数で川漁師に扮して田川をいくのがよい」

「と申されるは⋯」

 問い返した小一郎に対して、

「ここにおる隼人と向こうの舟を操る文吾とで魚網を張り田川をさかのぼる。小一郎や貴雪殿は漁師の水夫を装え。幕軍は河漁師の明けまづめの漁と思ってくれるだろう⋯あとは運次第だな」

 簗田河内守持助は、そう云うなり川鳥の遠鳴きに似た鋭い指笛を吹いた。三艘の中央を進んでいた一艘がこちらに寄ってきた。持助は素早く跳び移った。そして、

「御武運を⋯だが⋯死ぬなよ」

 と云い置いて右手を高く突き上げた。同じくして小一郎達も右手を高く突き上げた。

 持助の舟は瞬く間に下流へ流れ去った。

「貴雪殿、覚悟はよろしいか⋯ここより一歩踏み出した後は引き返せませぬぞ」

 小一郎の問いかけに貴雪は、前方へ駆け出した。

 その足音に驚いた鵯(ひよどり)の群れが一斉に飛び立ち、明け初め空を覆っていた。

 

 

 

 

叛乱 結城合戦 第54話

永享の乱後、流浪の辛酸が、ボンボン育ちの少年に自分の行く末は、己の力量で切り拓くしかないとの気概を持たせたのだと持朝は得心した。

 

 

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嘉吉元年(1441年)如月 鬼怒川順行

 

「あっ⋯兄⋯う⋯えっ⋯、まことにここを降りるのですか⋯」

 朝氏は釣瓶桶を片手にして絶句した。

「そうです。ここを降ります。大ざっぱですが、脱出の段取りはすでにお話し致しました」

 持朝は平然と云い切った。

「この井戸を降りれば城外に出られるのですか⋯」

 釣瓶桶と車井戸(滑車)を繋ぐ綱を渾身の力で引っ張りながら朝氏が云った。朝氏は綱一本に我が身を託すのが如何にも不安そうだった。

「どこの城でも万が一の脱出路を確保しているものです。石垣の一部分をくり抜いて隧道にしてある城もあれば、当家のように井戸の壁面に横穴を作り、城外まで繋げてある城もあります」

 持朝は、腰に下げる小振りの提灯の位置の塩梅を確かめながら言を続ける。

「井戸口から水面まで水涸れのこの季節ならおよそ二丈(約6メートル)あります。井戸端から一丈の深さに横穴が穿たれています。横穴の長さは半町(約50メートル)、城外の廃屋の枯井戸に通じています」

 今度は滑り止めの為、草鞋裏に松脂を塗りながら云った。

「あぁ、それと横穴には長虫(蛇)が住みついています。ひょっとしたら蝮(マムシ)に出くわすかもしれません」

 一言も発しない朝氏を持朝は覗うように横目で見た。持朝は、朝氏自らが大山行きを諦めてくれるのを期待した。

 持朝の思惑に反して、源氏の御曹司は、顔色を蒼白にしながらも否(いな)としなかった。

 永享の乱後、流浪の辛酸が、ボンボン育ちの少年に自分の行く末は、己の力量で切り拓くしかないとの気概を持たせたのだと持朝は得心した。

「殿、この綱の片端をお体にお結びします」

 湯浅五郎は我が身に結んだ綱の一方を朝氏に差し出した。

「五郎、無用だ。私はもう幼子ではないぞ」

 それでも五郎は差し出した綱を引っ込めはしなかった。

「いえ、しかし⋯万一にも転落などすれば⋯」

「くどいぞ。井戸底に落ち、死ぬようなら私の天命もそれまでのことよ」

 諦めがつかぬ五郎に目もやらず朝氏は、

「さぁ、兄上、参りましょうぞ。早くせねば夜が明けてしまいます」

「では、行くぞ⋯」

 腰提灯の蝋燭へ炎を移して、綱をグイッと引っ張り、その弾みで井戸の壁面を持朝は降りていった。綱は何度か激しく揺れて止まった。

「朝氏殿⋯そこから提灯の灯りが見えるかと⋯その灯りを目当てに降りてください。焦らずゆっくりと⋯」

 井戸内に澱んだ暗闇から持朝の声が玄(しず)かに伝い上がった。

「次は私が参りましょう。殿は、私の後に降りてくださいませ」

 有無をも云わせぬ口調で五郎が云い切った。

 五郎は朝氏を下から見守り、万が一の時は朝氏の落水を下支えする目論見なのであろう。

「ああ、分かった。五郎、行ってくれ」

 五郎は持朝と違い、なるだけ綱を揺らさぬように心がけてゆっくりと降り始めた。

 人一人分降りた五郎が、

「さぁ、殿⋯降りてください」

 朝氏は、かすかな苦笑を浮かべて、五郎にすれば私はいつまでも御曹司なのだな⋯と思った。

 

 井戸の横穴を抜け、城外の廃屋の涸れた古井戸を這い上がり、廃屋に用意してあった河漁師の装束に着替えたのはそろそろ東の空が白み始める刻限だった。

 持朝一行は、川岸に繋がれた河舟を鬼怒川の流れに滑り込ませた。

 

 

 

 

 

 

叛乱 結城合戦 第53話

 甲高く鳴く虎落笛(もがりぶえ)に小一郎は耳を傾けた。
「また明日から騙し合いと殺し合いが始まる⋯」
 利根の川風か、渡良瀬の川風か、はたまた両川の川風なのか⋯そんな、愚にもつかぬ思念を巡らせている己を苦く笑い小一郎が独り言ちた。

嘉吉元年(1441年)如月 鬼怒川遡行

 

 小一郎一行は、関宿から守谷まで利根川を闇に紛れて舟で下った。

 時には舟を乗り捨て葦原に身を隠して歩いたり、土手に身を伏せながら幕軍の河改めを巧みにかわした。

 簗田河内守持助が率いる関宿川衆は、川を知り尽くしており暗闇でもいささかの迷いも無く舟足を進めた。たとえ舟を乗り捨てても、川衆はすぐさま舟を調達してきた。

 守谷河岸に着いたのは夜明け前だった。守谷には持助の根城があった。根城といっても武張ってはおらず水運を生業と舟会所を偽装していた。

 

 小一郎は、人がましい寝床に身を横たえたのはいつぶりだろうかと指を折った。七本の指が折れた。

「俺たちには造作もないが、貴雪殿には辛いだろうな⋯賀名生を出たのを後悔してはいないだろうか⋯」

 小一郎は、持助が差入れた濁り酒をチビリチビリとやり始めた玄明に云った。

「なに大丈夫だ。あの姫さん、なかなか肝が据わってるぜ、へへッ」

 玄明が下卑た笑いを浮かべた。

「なんだよ、それ⋯」

「小一郎、お前、知らないのか⋯そうかそうか⋯お前、物見に出てたな」

「教えろよ⋯玄明、俺たちに秘密は無しだろうが⋯」

 小一郎が、玄明の酒瓶を取り上げ背後に置いた。酒瓶を取り返そうと玄明は小一郎の背後に回った。

「駿府(静岡市)で泊まっただろ⋯宿の主人が気を利かせて湯を沸かしてくれたのを覚えてるか」

 酒瓶を取り返した玄明が云った。

「あぁ、覚えている。飯も酒も食い放題呑み放題のいい宿だったよな。それがどうした⋯」 

「そりゃそうさ⋯訳ありなんだからな⋯姫さんに口止めされてるんだがな⋯さて、どうしょうか」

「玄明⋯そこまで話して口止めされているも無いだろうが⋯早く云えよ。さもなくば」

 焦れた小一郎が再度、酒瓶を取り上げようとした。それを制した玄明が、

「わかったよ、云うよ。ところで、今、姫さんは⋯」

「貴雪殿はもうお休みだ。お前から聞いたとは云わん、安心しろ」

「あの宿の主人⋯人の良さそうな顔して人買いよ。俺たちが宿に入ってすぐに姫さんの男装に気づきやがった。だから、すぐ湯を沸かしたのよ」

「えっ⋯まさか⋯」

「そのまさかよ⋯俺もすっかり油断した⋯すまん」

 玄明は珍しく素直に頭を下げた。

「湯浴み中は皆、寸鉄も帯びていない。そこをつけ込まれた。宿の主の手引きで二人の男が姫さんを搔っさらおうとしやがった」

「しかし、貴雪殿は今、隣室で寝てるではないか⋯わからん」

「まさにそこよ⋯ヘヘッ」

 玄明が土器(かわらけ)の濁り酒をグイッと呑み干した。

「あの姫さん、湯船の底に来国次を沈めていやがった」

「あの名槍を湯船に⋯なんてことを⋯」

「世間知らずの姫さんなんてのはそんなものよ。いいとこはここからよ。よく聴けよ」

 更に酒を煽って玄明が立膝になった。

(コイツ、酔ってるな。いつになく饒舌になってやがる)小一郎はそう思って鼻白んだが、先が聴きたくなってしまった。

「湯屋で来国次を振り回して宿の主人と男二人を気絶させちまったよ。湯帷子一枚のままで、恐れ入ったぜ」 

「⋯」

 小一郎は絶句した。

「姫さんの続きの言い草が奮ってるぜ、こうだ『お前たちの首を貰い受ける代わりに今日限りでこの宿を閉めよ。そして直ちに駿府を離れよ。明日の朝、その顔を見かけたらその首貰う。わかったか』ってな」

 愉快気に杯を重ねて玄明が云った。

「だからか⋯あのあと呑み放題食べ放題になったのは⋯それじゃ野盗の類いと変わらんな⋯まさか⋯貴雪殿の湯帷子姿、お前、見たのか⋯」

「おいおい心配するな、見てないよ」

「ならいいが⋯呑み放題食べ放題にしたのは⋯お前の仕業か⋯まさにやりたい放題だな」

「俺が云いたいのはな、姫さんは、おまえが思い描いてるよりずっと逞しくなってるんだぜ⋯さてと⋯早く寝よう、柔柔(やわやわ)の茵(しとね)と温温(ぬくぬく)の衾(ふすま)にはさまってな」

 大きな欠伸を残して玄明が寝所に向かった。

 甲高く鳴く虎落笛(もがりぶえ)に小一郎は耳を傾けた。

「また明日から騙し合いと殺し合いが始まる⋯」

 利根の川風か、渡良瀬の川風か、はたまた両川の川風なのか⋯そんな、愚にもつかぬ思念を巡らせている己を苦く笑い小一郎が独り言ちた。

 

叛乱 結城合戦 第五十ニ話

 白く細い指だった。鎌倉府が往年のように健在ならば決して刀槍など握る機会などなかった指だった。

嘉吉元年(1441年)如月

結城城出立

 

 持朝は辟易としていた。普段は貴公子然と構え、我意を通すなど毛程もなかった足利朝氏だった。しかし、眼前の朝氏は頑として譲らない。

 結城城内の持朝の居館で持朝と朝氏、安王、永寿王の三兄弟が夕餉を終えた時だった。三兄弟の背後にはそれぞれの傳(めのと)を務める湯浅五郎、田中三郎、大井持光が控えている。

「あなたが結城を離れるなど以ての外⋯総大将が不在などになれば結城軍は瓦解して総崩れです。それが分からないのですか⋯あなたは⋯」

 朝氏の聞き分けの無さが持朝の口調を尖らせた。

「それはわかります⋯しかし⋯」

 突然、襖が開いた。城主結城氏朝の顔がヌッと入ってきた。

「なにを大声でやり合っておるのだ⋯ここは奥とはいえ誰が聴いておるか判らぬだろうが⋯」

 氏朝は口では叱りながらも目尻を下げながら永寿王を膝に乗せた。

「永寿王殿、夕餉は美味しかったかな。腹一杯になかったかな」

 永寿王の口の端に付いた飯粒を取って自分の口に放り込んだ。腹がくちた永寿王は眠くなったのか、氏朝の胸にもたれて舟をこぎ始めた。

「おっと⋯持光、若子様(わこさま)はもう保たんぞ、早く寝屋にお連れしろ⋯」

 大井持光が永寿王を抱きかかえて寝屋に連れて行った。同時に安王も田中三郎が寝屋に連れて行った。ただ、安王は朝氏と持朝の口論の成り行きが気になって仕方がない風情であった。

「それでなにを揉めとるんだ」

 氏朝が持朝と朝氏の双方を見回した。

「朝氏殿が大山への使者に同道したいと申されてきかないのです」

「兄上の言い様は、甚だもっともだと思いますが、そこは曲げてお願いします。何卒、父上からも兄上にお口添えくださいませ」

 公式ではない奥向のこのような場では朝氏は、氏朝を父上と呼び、持朝を兄上と呼んだ。氏朝も当初は他聞を憚り諫めていたが、

「私には教え導いてくれる父も兄ももうおりませぬ。どうか不束かな私を訓導していただけないでしょうか」

 朝氏の切なる願いに言葉を無くした氏朝はもう何も云わず好きにさせている。ただし、他の家臣団の前では改めるよう厳に申し渡したのだった。

「朝氏殿はなぜ持朝に同道して大山に行きたいのだ」

「私は皆に何も成していない⋯ただ城の奥の上段に座っているだけです。血も泥も被っていない。皆と同じように軍の務めを果たし、策を練りたいのです。まだまだ未熟なのは承知しております。だからこそ実地で一から学びたい。⋯お飾りの大将では朽ちたくはないのです」

 朝氏の頬を上気させ、その熱気は首まで朱に染めていた。一方、眼差しは己の運命を図ったように冷ややかに静まっていた。

 氏朝が朝氏の手を取った。氏朝は朝氏の指をしみじみと撫で擦った。白く細い指だった。鎌倉府が往年のように健在ならば決して刀槍など握る機会などなかった指だった。

 貴種といえども零落すれば自らの命と家族は刃(やいば)に懸けて守らねばならない。それが「乱世」に巡り合って生を受けた朝氏の宿命だと氏朝は諦めざるを得なかった。

 氏朝の成すがままにしばらくは手を預けていた朝氏だったが、さすがに奇異な面持ちで氏朝に、

「父上⋯何かのまじないでしょうか⋯」

 最後にもう一度だけ包み込んだ朝氏の手を強く握ってから氏朝は手を離した。そして云った。

「いいでしょう。持朝と同道ください⋯」

 すかさず、持朝が反駁した。

「まさか⋯正気ですか⋯父上」

 氏朝は息子を無視して朝氏に語りかけた。

「玄明からの使い乱破が着いての。今やつらは関宿にいる。関宿の簗田河内守の手引きで鬼怒川を北上してくる。やつらの中に賓客が混じっている⋯朝氏殿は持朝と同道してその賓客を迎えて城まで案内して頂きたい。どうじゃな、頼めるか」

「私はそのまま大山へ⋯それとも」

 持朝が父の意向を質した。

 少し苦く口元を歪めた氏朝が低く云った。

「その状況次第で己で考えよ⋯お前は結城の総領ぞ。もし、儂が討たれたれば、籠城方を率いるはお前の務め。いつまでも儂を頼りするな」

「⋯⋯」

「関宿まで伴に参りましょうぞ。決して兄上の足手まといにならぬよういたします。よろしくお引き回しくださいませ」

 不服気に黙った持朝の胸の内を察した朝氏が、大仰な無邪気さで云った。

「はしゃいでどうされる⋯童(わらべ)の野遊びではないぞ。命を失うかもしれぬ仕儀、ゆめゆめ油断などせぬように⋯朝氏殿、了見されよ」

 朝氏は緩んだ頬を引き締めた。

「目立たぬようにするため、持朝、朝氏殿、湯浅五郎の三人のみで出立せよ。出立の機は持朝の裁量に任せる」

 氏朝の下命に持朝、朝氏、五郎の三人が首肯した。

 

 三人は翌々日の未明、百姓の野良着に身をやつし、刀だけを筵で巻いた。朝氏は結城城を抜け出す段取りを持朝から知らされた。それは思いもかけない段取りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

叛乱 結城合戦 第五十一話

ハッハッハ⋯面白い戦になりそうだ。このままじゃジリ貧の結城方だったが、ここに南朝のテコ入れがあるとなりゃ⋯勝ち負けは判らなくなって来たぜ。で皇子様、儂はなにをすればいいんだ。教えてくれ

 

 

 

 

 

 

 

嘉吉元年(1441年)如月

下総国関宿利根川河畔の荒屋

 

 関宿城(千葉県野田市)は既に落城していた。城下は幕軍の兵で満ちている。

 結城方に与していた城主簗田河内守持助を追い落とした犬懸上杉家当主の上杉教朝が駐屯していた。元城主簗田持助は今、行方不明である。

 関宿は、利根川水運の要であった。北関東における舟運の動脈である鬼怒川、渡良瀬川、思川等の大河はすべからく利根川と合流する。つまり、関宿を押さえれば下野国小山、宇都宮、日光山、常陸国下妻、霞ヶ浦、筑波山へ容易に兵や物資を送れる。もちろん、結城もその例外ではなかった。

 ちなみに利根川が銚子で太平洋へ注ぐ現在の流路になったのは、徳川家康の江戸入府後、水害からの江戸防衛のための土木工事によるもので、室町時代のこの頃は、江戸湾(東京湾)に注いでいた。

 

「つまり、利根川から鬼怒川へ廻り水路で結城城に入るというのだな」

 英貴雪(はなぶさたかゆき)は、そう云った後、床に積もった埃の上に懐から出した手ぬぐいを敷いて座った。

 兵が満ちた関宿宿を避け、利根川の岸で崩れかけた荒屋に小一郎、玄明、俊見、貴雪の四人は潜り込んだ。

 梁には川船が載せられていることから河番小屋だったのだろうと窺えた。

「ここから先は陸路は無理だ⋯半里も行かないうちに幕軍に見つかってしまう。乱破の俺なら話は別だがな」

 玄明は、貴雪と違い埃を払いもせず座り込み云った。

 小一郎は、埃を手で払い座った。

 俊見は、座らず戸口に立ち外に注意を払っていた。

「夜半までここに潜み、利根川と鬼怒川の合流点の守谷まで下り、鬼怒川を遡りなるだけ結城に近づく」

 玄明が今後のことを説明した。

「ならばなぜ初めから守谷に行かなかったのか」

 貴雪の口調には、やや咎める口ぶりがあった。

「その理由はもうすぐ分かる。それより寝ようぜ。夜半から動きだしたら、結城城に入るまでは寝る暇などないからな」

 云うと同時に片隅に積んであった藁筵(わらむしろ)を引っ張り出し、玄明は被った。

「俊見殿、一刻(約二時間)経ったら見張りを代わる。起こしてくれ」

 小一郎は筵を身体に巻き、柱に体をあずけた。

 俊見は僅かに頷き、すぐ戸外に意識を戻した。

 貴雪は、槍の来国次を床に置き、父の愛刀・古青江貞次を抱え込んで壁に凭れた。

 俊見が貴雪に近づき目礼し、自らの胴服を脱いで無言で貴雪にかけた。

「ありがとう⋯だが無用だ⋯見張りに立つおまえが着ておれ」

 貴雪はかけられた胴服を俊見に返した。

「ご無礼をいたしました⋯」

 俊見は胴服は受け取らず、一言応じて戸口に戻った。

「いや、そうではない」

 貴雪は胴服を膝に抱え、眼を閉じた。

 その遣り取りには幼い頃より兄妹として、もしくは幼い主従として過ごしてきた二人に通じる阿吽の呼吸があった。

 

 それが起きたのは夜半を過ぎる頃だった。

 見張りは俊見から小一郎に代わっていた。

 小一郎は風音に耳を傾けていた。利根川を渡る寒風が強まり、気温を更に下げたのを小一郎は体感で分かった。

「来たな⋯」

 玄明が云った。

 小一郎は手槍を握り直した。

「教朝の手の者か⋯」

「わざわざ関宿に遠回りした理由が現れたのよ」

 玄明が小一郎に向かって片頬で微笑んだ。

 貴雪も気づいたらしく音を出さぬようにして太刀と槍を引き寄せた。

「偉そうに一国一城の主を書状一本で呼び出す奴のツラを見に来てやったぞ。つくばねの玄明、久しいの⋯邪魔だ、退け」

 素早く戸口に立ち塞がった小一郎を手荒く押し退けて屋内に一歩入った。俊見が機敏に貴雪と侵入者の間に我が身で壁を作った。俊見は身の丈六尺(約180cm)の偉丈夫だった。侵入者も負けず劣らずの大男だった。

「俊見よ、この男は味方だ⋯安心しろ。なっ、そうだよな⋯河内守殿」

 関宿城の落城後、行方不明だった関宿城主 簗田河内守持助、その人だった。

「玄明、なぜ儂の隠れ場所が分かった⋯」

 格別険しい渋面で持助は詰問した。

「俺は筑波山乱破の頭領、つくばねの玄明だ。関東の情勢で知らぬ事などない」

「フン、たいした大言壮語だな⋯で、この男が猟師上がりの結城の養子か、こっちの若造と小僧(ワッパ)は見かけんツラだな⋯」

 小一郎達四人は顔を見合わせて黙り込んだ。持助の心中がまだ分からないからだった。確かに持助は、幕軍に城を取られはしたが、貴雪の身分が分かれば貴雪を手土産に幕軍に駆け込むかもしれなかった。この頃の武家の損得勘定は油断ならなかった。

「その前に小屋を囲んでいる河内守殿の手勢を退かせていただこうか⋯話はそれからに⋯」

 小一郎が戸外の暗闇に顎をしゃくった。

「ばれてたか⋯わかったわかった⋯こちらとてわけわからん話に丸裸で出向くわけにいかんでな」

 持助が短い間合いで指笛を三度吹いた。すると即座に戸外の手勢の気配が消えた。

「これでよいか⋯儂はハナから結城の寄騎だ」

「かたじけないことです。私は結城中務太輔氏朝の家臣、結城玄蕃友成と申します。以後お見知りおきを。玄明は⋯正体はおわかりの通り。御不信のこのふたりですが⋯若い者が英貴雪殿、年長の者はその従士で日野俊見殿です」

「英だと⋯聞き覚えのない姓じゃの、それに日野とは公家の姓じゃ⋯お前たち、公家か」

 持助の視線がふたりを値踏みするように睨めつけ、つと貴雪の差料の古青江で止まった。

 小一郎は(しまった)と思った。貴雪のような若年には不釣り合いな大業物だったからだ。

「ワッパ、身に沿わぬ差料を持っておるな。儂に見せてみい」

 古青江に伸ばした持助の手を貴雪は扇子で打った。

「この無礼者、武士の差料に許しも得ず手を伸ばすなど許せぬ」

「ガキのくせに⋯いいからよこせ⋯取り上げはせん、見るだけじゃ⋯貸せ、ワッパ」

 力では持助に到底敵わぬ貴雪は古青江を取り上げられた。

「貴雪殿、見せるだけです。ここはご辛抱を⋯」

 小一郎が貴雪を宥めた。

 持助が古青江を抜いた。

「やはりな⋯これは古青江貞次だな。こんな名刀をこんなワッパがなぜ⋯」

 持助は俊見が暖を取るため点けたばかりの薪火に刀身を隅々までかざした。

「ウッ、何だこりゃ⋯どういうことだ⋯まさか⋯」

 持助の目の焦点が、刀身の鎺(はばき)から動かなくなった。

 鎺には「十六葉八重表菊」(注)が彫金されていた。

「ワッパ⋯おまえ⋯なに者だ」

 持助は、貞次を鞘に収め貴雪につきかえした。

 玄明が顎で小一郎を促した(お前が話せよ)

 小一郎はかぶりを振った(まだ味方かどうか判らぬ奴に云えるかよ)

 玄明が更に強く顎をしゃくった(このままじゃ持助は合力しちゃくれねぇぞ)

 小一郎が仕方ないとでも云いたげに肩を落としてから持助を見つめた。その間隙を貴雪が突いた。

「隠すことはない。私は、後醍醐帝六世乃皇孫小倉宮聖承が一子、貴雪と申す。臣籍降下後は英貴雪との名乗りを父宮より賜った」

「後醍醐帝の皇孫だと⋯お前⋯騙りの手合か⋯」

 貴雪にそう云った持助が、問い質すように眼力を込めて小一郎と玄明を睨んだ。

「河内守殿⋯騙りなどではない。吉野賀名生乃宮より貴雪殿をここまでお連れした。間違いなく皇孫の御血筋であられる」

「このワッパが⋯まさか⋯なんてことしちまったんだ⋯儂は」

 持助が膝から崩れて土間に平伏した。

「面を上げてくれ。河内守殿⋯今の私は貴殿と同じ武士として生きる道を選んだ身だ。歴戦の勇士の貴殿と共に戦って多くを学びたいと思っている。良しなに引き回して頂きたい」

 現状が呑み込めず呆けた顔をした持助が一転破顔大笑した。

「こりゃいい⋯ハッハッハッ⋯面白い戦になりそうだ。このままじゃジリ貧の結城方だったが、ここに南朝のテコ入れがあるとなりゃ⋯勝ち負けは判らなくなって来たぜ。で皇子様、儂はなにをすればいいんだ。教えてくれ」

「河内守殿⋯いや、持助殿、今後、私のことは貴雪と呼んでくれ。この三人もそう呼ぶ」

「わかった⋯なら貴雪殿、儂はなにをすればいいのだ」

「小一郎と俺、俊見と貴雪の四人を、河を遡って結城城に入る算段をつけてくれないか。関東の大河を知り尽くしてるお前達関宿衆なら可能だろ」

 持助の問いに玄明が答えた。

「軽く云うよな、幕軍十二万だぜ⋯それで儂の旨味は何だ。まさか、忠義とか言い出すなよ」

「上手く入城できたらこれをやろう」

 玄明が油紙に包まれた書状を持助に見せた。持助が油紙を拡げた。薄墨紙の書状があり、表には「綸旨」と記されてあった。

「何だこりゃ⋯いくらなんでもこれは無いな。皇子様の次は綸旨かよ⋯出来過ぎだよ」

「私が父、小倉宮聖承から直に下賜された綸旨だ。昨今流行りの偽綸旨ではない」 

 貴雪が殊更に重々しく口を開いた。小一郎がつけ足して云った。

「これを奉じて鹿島や香取に駆け込めば千や二千の兵はすぐ集まるだろう。それで関宿城を奪還すればいい」

 簗田河内守持助はしばらく考え込んだ。その顔は損得勘定をする商人だった。この手の半士半商のような武士が乱世には増える。それは決して悪くはないと小一郎は思っていた。

「このままじゃ儂もにっちもさっちもいかねぇ⋯わかったよ、皇子さんの綸旨、のってみるか」

 持助は、綸旨を油紙に包み直し懐に仕舞うと戸外に出て川面に向かって長く伸びる指笛を吹いた。

 瞬く間に葦原の向こうに幾艘の舟が並んだ。

 貴雪と俊見、小一郎と玄明の二手に分かれ舟に乗り込んだ。

 

十六葉八重表菊(注)

十六葉八重表菊(じゅうろくようやえおもてぎく)は、16枚の表花弁とその後ろに重なる16枚の裏花弁(計32枚)で構成される、天皇および皇室の御紋章(菊の御紋)

 

 

 

 

叛乱 結城合戦 第五十話

 結城城は、天下の兵を向こうにして一年の籠城戦を耐え抜いている。(なかなか上出来だ)籠城方の総大将 結城中務大輔氏朝は、結城城を取り囲む幕軍を櫓から見下ろしてほくそ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

嘉吉元年(1441年)如月

結城城

 下総国(千葉県北部)結城は、関東平野北辺の漠々たる蒼氓(そうぼう)の大地と上古より人々の暮らしの要であった大河鬼怒川に涵養された豊穣の里である。

 しかし、その美田の園は今や十二万の軍兵に蹂躙され、いつ終わるとも知れない戦さ場と成り果ててしまった。

 結城氏朝が天下の旗幟に反旗を翻したのが、永享十二年(1440年)三月、今は嘉吉元年(1441年)二月、(永享十三年二月半ばに永享から嘉吉に改元)つまり結城城は、天下の兵を向こうにして一年の籠城戦を耐え抜いている。(なかなか上出来だ)籠城方の総大将 結城中務大輔氏朝は、結城城を取り囲む幕軍を櫓から見下ろしてほくそ笑んだ。

「なにを嗤っておられるのですか」

 氏朝に遅れて櫓に登ってきた嫡男結城持朝が父に問うた。

「いやな⋯十二万の兵、敵ながら壮観とおもうてな⋯」

「まったく⋯父上は根っからの坂東武者ですな。敵ですよ⋯奴等は」

「幸(こう)の悪阻はまだ酷いのか」

 幸は持朝の正室で第一子を懐妊している。初孫の無事の出産が舅の氏朝には何よりの気がかりだった。万が一の時は幸とお腹の子だけでも落ち延びさせる。その手筈は幸の父親、常陸守護佐竹家当主、佐竹義人に内密につけてある。

「お姫様育ちのくせして⋯なかなか肝の据わった女です、私の妻は⋯へへッ」

 さも嬉しそうに持朝が笑った。

「いつ落命するか分からない武家、その正室になるような女は、肝が据わって旦那の死など屁でもない女じゃなきゃ務まらんからな⋯さてと、これから大広間で軍議だったの⋯」

 櫓の梯子段を降りながら氏朝が云った。

 

 

結城城 大広間

 

 軍議に参集した諸将は、結城家当主結城氏朝、嗣子持朝、氏朝の舎弟八郎久朝、同じく舎弟山内氏義、氏朝の生家である下野国小山家当主小山広朝とその一門衆。結城家重臣の水谷時氏、黒田将監(しょうげん)、山川式部(しきぶ)、梁田修理の面々だった。

 そして、一段高い上座には、当年十四歳の春王改め鎌倉公方足利朝氏が座していた。朝氏は今朝、氏朝から渡された書面を食い入るように見ていた。

 朝氏が座る上座と回り廊下を隔てる襖の外には、永享の乱以降、陰日向に朝氏を護り続けた傳(めのと)湯浅五郎が影のように控えていた。

「上様、軍議を始めたいと思います。まずは一言お願い致します」

 軍議仕切り役の結城氏朝は朝氏に爪甲の礼を執り、軍議の開始を告げた。

 朝氏は微かに顎を引き、一同を見渡し云った。

「皆の者、大儀。忌憚なき具申を述べてくれ」

 朝氏の言に臣下は一斉に叩頭した。

 結城籠城以来、半月に一度、下番中の諸将は大広間に参集し軍議を諮ってきた。突発の事案にはその都度参集できる者だけの場合もあった。

 結城合戦には特筆すべき独自性があった。

 結城側も幕軍側も積極的な戦いを避けていた。

 結城軍一万、幕軍十二万が、昨年の三月以来の一年間、大規模な戦さは無く、小競り合いに徹していた。

 結城征討軍の総大将は、現関東管領上杉清方であった。だが、それは名目上で実際は清方の実兄、前関東管領上杉憲実が征討軍を差配していた。

 上杉憲実の器量は、この時期の関東では出色の出来だった。 憲実は、これまで関東管領として落日の鎌倉府を双肩で支えた。京都の足利将軍と鎌倉府の鎌倉公方の不和を取り持ち、一触触発の回避も憲実の忠勤の一端であった。だが、その労苦は報われなかった。室町将軍足利義教との関係修復に奔走し、諫言を繰り返す憲実を鎌倉公方足利持氏は不忠者、裏切り者と決めつけ追討しようとした。

 事ここに至って座して滅ぼされるような無垢な漢ではない。老獪な憲実は主君持氏を打倒した。それでも、将軍足利義教に対して持氏義久父子の助命を嘆願した。その間、持氏父子は相模国六浦荘金沢村称名寺で出家謹慎した。

 しかし、万人恐怖の異名を持つ室町将軍足利義教は、一度たりとも我に逆らった人間を赦免するような甘い男ではなかった。叛逆者父子は、武蔵国大蔵(現世田谷区祖師ヶ谷大蔵)永安寺にて自害させられた。この一連の戦乱が永享の乱(永享十年 1438年)と呼ばれた。

 結城城に迎えられた春王、安王、永寿王は、自害した持氏の遺児となる。

 

「詰まるところはやはり⋯兵糧か⋯」

 書面から貌(かお)を上げた小山広朝がボソリと云った。軍議前に足利朝氏が一心不乱で凝視していた書面と同じ内容が記されていた。

 家老で奥向を差配している梁田修理が、現在の結城城内にある全兵糧数と城に籠る員数からはじき出した籠城可能日数が日延を追って書かれていた。

「残りは三ヶ月か⋯ふぅむ⋯」

 氏朝の実弟にして下野国(現栃木県)小山氏の当主の小山広朝が吐息を漏らした。

「上杉憲実の戦略は敵ながら天晴です」

 持朝はそう云いながら上総、下野、常陸の三国の大まかな勢力の絵図面を拡げた。絵図面は一畳ほどの大きさがあった。周りに諸将が集まった。

「結城は下野からは鬼怒川を下り、上総からも鬼怒川を上れば容易に辿り着ける往来の要衝です」

 持朝は女竹で鬼怒川を辿った。

「そのような講釈など云われんでも判っとる」

 父氏朝の三弟山内氏義叔父が苛立った。

 持朝はこの叔父が苦手だった。一人だけ家臣筋の家門に養子に出されたのが面白くないらしく、氏朝や持朝の本家の意向に何かと文句を云った。

「結城本城を大軍で囲い込み、関宿城と小山城を手中に落とす。憲実殿の実に巧妙な戦略です」

 持朝は叔父の苛立ちなど鼻にもかけず話を続けた。

「関宿と小山を押さえられると水運を使っての兵糧の城内運搬ができないのです」

「城が落ちずとも口が干上がっては戦にならんわな。策謀家の憲実が考えつきそうな計略だのう⋯さて⋯手を打たねばな」

 氏朝の二弟、八郎久朝が思案気に云った。

 結城一族は、戦働きなら人に引けを取らない坂東武者の集団だが、兵站(へいたん)確保のような謀事は不得手であった。

 軍議は水を打ったように静まり返っていた。停滞を破ってそれまで黙って聴いていた鎌倉公方足利朝氏が声を発した。

「今の関東で我が方にも幕軍にも与しておらぬ勢力はないのか⋯」

「関東の武家で憲実の威令に表立って逆らう者などいないでしょう⋯良くて部外中立⋯」

 持朝が朝氏に応じた。

「ただし武家ではな⋯」

 氏朝が顎を撫でながら思案顔で云った。

 一座は氏朝の意図を図りかねて静まった。

 氏朝は上座の朝氏に向き直り叩頭した。

「相模介に調略をかけたいと存じます。その為に畏れ多き事ですが、相模介へ下す鎌倉公方御教書を賜わりますよう御願い申し上げます」

 相模介とは、大山相模介直宜(なおのぶ)を指す。相模介直宜は、大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)の大祝(おおほうり・最高位の神職)と大山修験道の大越家(だいおつけ・修験道山伏の極官)を兼ねる聖地大山を束ねる宗教大名だ。

「して⋯御教書の内容は」

 小山広朝が問うた。

「日光山二荒山神社と筑波山筑波山神社が、関東修験道の大越家の二柱だ。大山阿夫利神社は二社に比べて社格が一段下がる。大山の忠勤により上様の鎌倉への凱旋が成った後、鎌倉府の御威光を以て関東第一の社格を与えるとの約定を下すのよ」

 氏朝は朝氏に語りかけるように云った。

「相模介は欲深い男ですからな。必ずや食いつきます」

 三弟山内氏義がほくそ笑んだ。

「大山への使者は、⋯持朝、おまえが行け」

 氏朝が嫡男を名指しした。

 幕軍の攻囲を掻い潜って結城を抜け出し鬼怒川を下り大山道(現在の国道246号線)を駆けて相模国大山まで⋯(まっ、やってやれなくもない)持朝は頭の中に岩場の抜け道や葦原の中の獣道を頭に浮かべた。だてに幼子より北関東の野辺を駆け回ってきたわけでない。

 眉間にしわを寄せて行手を案じる朝氏に向かって持朝は、

「上様、お任せくださいませ。必ずや朗報を持って帰城いたします」

 そう云って明るく笑った。