ハッハッハ⋯面白い戦になりそうだ。このままじゃジリ貧の結城方だったが、ここに南朝のテコ入れがあるとなりゃ⋯勝ち負けは判らなくなって来たぜ。で皇子様、儂はなにをすればいいんだ。教えてくれ
嘉吉元年(1441年)如月
下総国関宿利根川河畔の荒屋
関宿城(千葉県野田市)は既に落城していた。城下は幕軍の兵で満ちている。
結城方に与していた城主簗田河内守持助を追い落とした犬懸上杉家当主の上杉教朝が駐屯していた。元城主簗田持助は今、行方不明である。
関宿は、利根川水運の要であった。北関東における舟運の動脈である鬼怒川、渡良瀬川、思川等の大河はすべからく利根川と合流する。つまり、関宿を押さえれば下野国小山、宇都宮、日光山、常陸国下妻、霞ヶ浦、筑波山へ容易に兵や物資を送れる。もちろん、結城もその例外ではなかった。
ちなみに利根川が銚子で太平洋へ注ぐ現在の流路になったのは、徳川家康の江戸入府後、水害からの江戸防衛のための土木工事によるもので、室町時代のこの頃は、江戸湾(東京湾)に注いでいた。
「つまり、利根川から鬼怒川へ廻り水路で結城城に入るというのだな」
英貴雪(はなぶさたかゆき)は、そう云った後、床に積もった埃の上に懐から出した手ぬぐいを敷いて座った。
兵が満ちた関宿宿を避け、利根川の岸で崩れかけた荒屋に小一郎、玄明、俊見、貴雪の四人は潜り込んだ。
梁には川船が載せられていることから河番小屋だったのだろうと窺えた。
「ここから先は陸路は無理だ⋯半里も行かないうちに幕軍に見つかってしまう。乱破の俺なら話は別だがな」
玄明は、貴雪と違い埃を払いもせず座り込み云った。
小一郎は、埃を手で払い座った。
俊見は、座らず戸口に立ち外に注意を払っていた。
「夜半までここに潜み、利根川と鬼怒川の合流点の守谷まで下り、鬼怒川を遡りなるだけ結城に近づく」
玄明が今後のことを説明した。
「ならばなぜ初めから守谷に行かなかったのか」
貴雪の口調には、やや咎める口ぶりがあった。
「その理由はもうすぐ分かる。それより寝ようぜ。夜半から動きだしたら、結城城に入るまでは寝る暇などないからな」
云うと同時に片隅に積んであった藁筵(わらむしろ)を引っ張り出し、玄明は被った。
「俊見殿、一刻(約二時間)経ったら見張りを代わる。起こしてくれ」
小一郎は筵を身体に巻き、柱に体をあずけた。
俊見は僅かに頷き、すぐ戸外に意識を戻した。
貴雪は、槍の来国次を床に置き、父の愛刀・古青江貞次を抱え込んで壁に凭れた。
俊見が貴雪に近づき目礼し、自らの胴服を脱いで無言で貴雪にかけた。
「ありがとう⋯だが無用だ⋯見張りに立つおまえが着ておれ」
貴雪はかけられた胴服を俊見に返した。
「ご無礼をいたしました⋯」
俊見は胴服は受け取らず、一言応じて戸口に戻った。
「いや、そうではない」
貴雪は胴服を膝に抱え、眼を閉じた。
その遣り取りには幼い頃より兄妹として、もしくは幼い主従として過ごしてきた二人に通じる阿吽の呼吸があった。
それが起きたのは夜半を過ぎる頃だった。
見張りは俊見から小一郎に代わっていた。
小一郎は風音に耳を傾けていた。利根川を渡る寒風が強まり、気温を更に下げたのを小一郎は体感で分かった。
「来たな⋯」
玄明が云った。
小一郎は手槍を握り直した。
「教朝の手の者か⋯」
「わざわざ関宿に遠回りした理由が現れたのよ」
玄明が小一郎に向かって片頬で微笑んだ。
貴雪も気づいたらしく音を出さぬようにして太刀と槍を引き寄せた。
「偉そうに一国一城の主を書状一本で呼び出す奴のツラを見に来てやったぞ。つくばねの玄明、久しいの⋯邪魔だ、退け」
素早く戸口に立ち塞がった小一郎を手荒く押し退けて屋内に一歩入った。俊見が機敏に貴雪と侵入者の間に我が身で壁を作った。俊見は身の丈六尺(約180cm)の偉丈夫だった。侵入者も負けず劣らずの大男だった。
「俊見よ、この男は味方だ⋯安心しろ。なっ、そうだよな⋯河内守殿」
関宿城の落城後、行方不明だった関宿城主 簗田河内守持助、その人だった。
「玄明、なぜ儂の隠れ場所が分かった⋯」
格別険しい渋面で持助は詰問した。
「俺は筑波山乱破の頭領、つくばねの玄明だ。関東の情勢で知らぬ事などない」
「フン、たいした大言壮語だな⋯で、この男が猟師上がりの結城の養子か、こっちの若造と小僧(ワッパ)は見かけんツラだな⋯」
小一郎達四人は顔を見合わせて黙り込んだ。持助の心中がまだ分からないからだった。確かに持助は、幕軍に城を取られはしたが、貴雪の身分が分かれば貴雪を手土産に幕軍に駆け込むかもしれなかった。この頃の武家の損得勘定は油断ならなかった。
「その前に小屋を囲んでいる河内守殿の手勢を退かせていただこうか⋯話はそれからに⋯」
小一郎が戸外の暗闇に顎をしゃくった。
「ばれてたか⋯わかったわかった⋯こちらとてわけわからん話に丸裸で出向くわけにいかんでな」
持助が短い間合いで指笛を三度吹いた。すると即座に戸外の手勢の気配が消えた。
「これでよいか⋯儂はハナから結城の寄騎だ」
「かたじけないことです。私は結城中務太輔氏朝の家臣、結城玄蕃友成と申します。以後お見知りおきを。玄明は⋯正体はおわかりの通り。御不信のこのふたりですが⋯若い者が英貴雪殿、年長の者はその従士で日野俊見殿です」
「英だと⋯聞き覚えのない姓じゃの、それに日野とは公家の姓じゃ⋯お前たち、公家か」
持助の視線がふたりを値踏みするように睨めつけ、つと貴雪の差料の古青江で止まった。
小一郎は(しまった)と思った。貴雪のような若年には不釣り合いな大業物だったからだ。
「ワッパ、身に沿わぬ差料を持っておるな。儂に見せてみい」
古青江に伸ばした持助の手を貴雪は扇子で打った。
「この無礼者、武士の差料に許しも得ず手を伸ばすなど許せぬ」
「ガキのくせに⋯いいからよこせ⋯取り上げはせん、見るだけじゃ⋯貸せ、ワッパ」
力では持助に到底敵わぬ貴雪は古青江を取り上げられた。
「貴雪殿、見せるだけです。ここはご辛抱を⋯」
小一郎が貴雪を宥めた。
持助が古青江を抜いた。
「やはりな⋯これは古青江貞次だな。こんな名刀をこんなワッパがなぜ⋯」
持助は俊見が暖を取るため点けたばかりの薪火に刀身を隅々までかざした。
「ウッ、何だこりゃ⋯どういうことだ⋯まさか⋯」
持助の目の焦点が、刀身の鎺(はばき)から動かなくなった。
鎺には「十六葉八重表菊」(注)が彫金されていた。
「ワッパ⋯おまえ⋯なに者だ」
持助は、貞次を鞘に収め貴雪につきかえした。
玄明が顎で小一郎を促した(お前が話せよ)
小一郎はかぶりを振った(まだ味方かどうか判らぬ奴に云えるかよ)
玄明が更に強く顎をしゃくった(このままじゃ持助は合力しちゃくれねぇぞ)
小一郎が仕方ないとでも云いたげに肩を落としてから持助を見つめた。その間隙を貴雪が突いた。
「隠すことはない。私は、後醍醐帝六世乃皇孫小倉宮聖承が一子、貴雪と申す。臣籍降下後は英貴雪との名乗りを父宮より賜った」
「後醍醐帝の皇孫だと⋯お前⋯騙りの手合か⋯」
貴雪にそう云った持助が、問い質すように眼力を込めて小一郎と玄明を睨んだ。
「河内守殿⋯騙りなどではない。吉野賀名生乃宮より貴雪殿をここまでお連れした。間違いなく皇孫の御血筋であられる」
「このワッパが⋯まさか⋯なんてことしちまったんだ⋯儂は」
持助が膝から崩れて土間に平伏した。
「面を上げてくれ。河内守殿⋯今の私は貴殿と同じ武士として生きる道を選んだ身だ。歴戦の勇士の貴殿と共に戦って多くを学びたいと思っている。良しなに引き回して頂きたい」
現状が呑み込めず呆けた顔をした持助が一転破顔大笑した。
「こりゃいい⋯ハッハッハッ⋯面白い戦になりそうだ。このままじゃジリ貧の結城方だったが、ここに南朝のテコ入れがあるとなりゃ⋯勝ち負けは判らなくなって来たぜ。で皇子様、儂はなにをすればいいんだ。教えてくれ」
「河内守殿⋯いや、持助殿、今後、私のことは貴雪と呼んでくれ。この三人もそう呼ぶ」
「わかった⋯なら貴雪殿、儂はなにをすればいいのだ」
「小一郎と俺、俊見と貴雪の四人を、河を遡って結城城に入る算段をつけてくれないか。関東の大河を知り尽くしてるお前達関宿衆なら可能だろ」
持助の問いに玄明が答えた。
「軽く云うよな、幕軍十二万だぜ⋯それで儂の旨味は何だ。まさか、忠義とか言い出すなよ」
「上手く入城できたらこれをやろう」
玄明が油紙に包まれた書状を持助に見せた。持助が油紙を拡げた。薄墨紙の書状があり、表には「綸旨」と記されてあった。
「何だこりゃ⋯いくらなんでもこれは無いな。皇子様の次は綸旨かよ⋯出来過ぎだよ」
「私が父、小倉宮聖承から直に下賜された綸旨だ。昨今流行りの偽綸旨ではない」
貴雪が殊更に重々しく口を開いた。小一郎がつけ足して云った。
「これを奉じて鹿島や香取に駆け込めば千や二千の兵はすぐ集まるだろう。それで関宿城を奪還すればいい」
簗田河内守持助はしばらく考え込んだ。その顔は損得勘定をする商人だった。この手の半士半商のような武士が乱世には増える。それは決して悪くはないと小一郎は思っていた。
「このままじゃ儂もにっちもさっちもいかねぇ⋯わかったよ、皇子さんの綸旨、のってみるか」
持助は、綸旨を油紙に包み直し懐に仕舞うと戸外に出て川面に向かって長く伸びる指笛を吹いた。
瞬く間に葦原の向こうに幾艘の舟が並んだ。
貴雪と俊見、小一郎と玄明の二手に分かれ舟に乗り込んだ。
十六葉八重表菊(注)
十六葉八重表菊(じゅうろくようやえおもてぎく)は、16枚の表花弁とその後ろに重なる16枚の裏花弁(計32枚)で構成される、天皇および皇室の御紋章(菊の御紋)