そうだ、わしはあの世から甦った。結城小一郎とつくばねの玄明を地獄に引きこむためこの世に舞い戻ったのよ。ヒャヒャヒャ
承前
宮門に急行した小一郎の眼に飛び込んできた光景は酸鼻を極めていた。
三十人を下らない衛士は皆々鮮血に塗れ、瀕死の痛手を負い絶叫する士、すでに事切れて地に伏し微動だにしない士で溢れていた。
日野俊世、俊見の父子と三人の衛士が辛うじて戦意を振るっていた。既に俊世の衣の背は大きく切られ朱に染まっていた。俊見は無傷だったが、返り血を浴び赤鬼の如くだった。
曲者はまだ四人いた。乱入時は十人位であったであろうか…いずれにしろ、半数にも満たない手勢で衛士側をほぼ全滅させている。恐るべき力量の猛者達だった。
俊見は樫棒を大上段から敵の頭上に振り下ろした。敵は横っ飛びで樫棒の下をくぐり抜けた。くぐり抜けながら苦無(くない)を俊見へ投げた。
俊見は左手で苦無を叩き落とした。
敵は一歩体を横に流し、苦無を打とうとした。がそれより一呼吸速く俊見の振り降ろす樫棒が敵の頭蓋を砕いた。公家とは思えぬ武量と小一郎は観た。
小一郎に気づいた二人の敵が得物を構えてこちらに寄せてきた。
小一郎は手槍をしごき、待ち構えた。
その時、左脇に植された垣を飛び越えて二つの人影が眼前に転がった。一人はかなりの大男で、もう一人は日野俊世だった。
小一郎は反射的に後に飛び退いた。
大男は俊世の首に巻きつけた縄の両端を握り転がったまま絞め上げていた。俊世の顔面はうっ血で赤黒く変色していた。
「おの…れー、は…なせっ…」
俊世の声はもうかすれていた。
小一郎は、縄を絞める大男の二の腕に手槍を突き立てた。大男は叫び声とともに縄から手を離した。
首の縄を解き、瞬時に跳ね上がった俊世が大男へ身体ごと落ちた。手槍で二の腕ごと地面に突き刺された大男の喉元を俊世は太刀で断った。
小一郎は手槍を骸(むくろ)から抜いた。その反動で新たに向かってきた男二人を柄で横に払った。
二人とも手練れと見え、柄を巧みにかわした。
傍に来た俊世と小一郎で男等と相対した。
敵はこの場にはあと三人、味方は小一郎、俊世、俊見、手負いの衛士の三人。使い物にならない貴子は数に入れられなかった。衛士は他にもいるはずだが聖承の護衛にまわっているのだろう。
小一郎の相手はまだ年若い男だった。奇異な得物を使った。長さがおよそ三尺(約九十センチ)の鎖の両端に一尺の手鎌を繋げていた。手鎌を両手に持つ二刀使い、その姿はさながら蟷螂(カマキリ)であった。
小一郎は手槍を蟷螂の腹をめがけて突き入れた。
蟷螂は穂先をすんでで避けて鎖を手槍の柄に巻きつけた。
手槍は突くも引くもできなくなった。両手に構えた鎌が小一郎の小手を目がけて振り下ろされた。咄嗟に槍を掴んだ両手を解いた。蟷螂の鎌が空振りした。張りを失った鎖から手槍が外れて地面に転がった。小一郎が手槍に向かって地面を滑り、手槍を拾いあげた。蟷螂は苦々しい顔で小一郎を睨んだ。
小一郎の行動は埒外だった。武士が自分の意思で得物を放り出すなどは決してしない。武士の面子に関わるからだ。だが、小一郎は生粋の武家の育ちではない。故に戦法は臨機応変だった。要は勝てばよい。
同じ轍を踏まぬため、左前半身に手槍を構え、そのまま突き入れずに蟷螂へとジリジリ間合いを詰めた。鎌と槍では槍が間合いは長い。間合いが短い鎌の蟷螂は後に後退するしかない。蟷螂の背が石灯籠にぶつかった。蟷螂の視線が背後に流れた。
わずかに生じた隙を小一郎は見逃さなかった。
「トウッ」
雷撃の気合と機を一にして手槍を突き出した。
穂先は、肉に当たる感触がして蟷螂の胸板を貫通した。
蟷螂は両眼を見開き、信じられぬとでも云いた気な面を残して地面に突っ伏した。
小一郎は俊世を探した。俊世は小一郎から三間(約六メートル)離れて太刀合っていた。
「オリャー」
叫んだ男は長柄の鉞(まさかり)を振り上げ体ごと俊世に突っ込んだ。俊世の頭蓋が砕け散ったかと小一郎は怖気(おぞけ)た。だが俊世は紙一重で鉞の刃の下を抜けた。しかも、すり抜けざまに太刀を振るった。鉞男の肩先から鳩尾(みぞおち)までがパックリと裂けた。俊世の早業と太刀の切れ味のなせる神技だった。
「離せっ下郎め。離さぬとお前の目をえぐるぞ」
貴子の怒声だった。俊世と小一郎の視線がそちらへ集まった。
貴子の細首を羽交い締めにした男の体躯は、肉が隆々と盛り上がり、腕は杉柱のように野太かった。
「お前…なぜ…いやまさか…」
小一郎は亡霊を見ていると思った。ここにこの男がいるはずがないのは分かっている。分かっているのだが…
「そうだよ、わしはあの世から甦った。結城小一郎とつくばねの玄明を地獄に引きこむためこの世に舞い戻った。ヒャヒャヒャ」
この薄気味悪い嗤いは、間違いなく奴と同じだった。
「おのれ…血迷ったか…いやまさか…」
遠州曳間で誅したはずの才賀丸が貴子を羽交い締めにしていた。