叛乱 結城合戦 第10話

男達の喉を切り裂いて血の海に沈めてやりたい。だが、心はこれ程に憎みながら拒めない己の躰こそ九にも八にも切り裂いて七里之濱に沈めたい。

 

 

 


永亨十二年(1440)九月 鎌倉山之内 上杉邸

「俺はいつも兄貴の陰になる」

 関東管領上杉兵庫頭清方は、全てに苛立っていた。その苛立ちは、昨日今日の苛立ちではない。

「俺の苛立ちはあの時からだ…」

 清方は、寝間の上に胡座をかき、眼前の寝酒を徳利で呷る。

 上杉憲実、清方兄弟は、関東管領山内上杉家の出身ではない。同じ上杉姓でも越後守護上杉家の出身である。通常ならば兄憲実は関東管領になれる立場にはない。

 では、なぜ関東管領になれたのか。

 それは次の二つの理由による。

 上杉憲実が幼少より非常に英邁であった事。

 また、当時の関東管領上杉憲基に実子が無く、かつ、音に聞こえた憲実の英邁さから自分の後継者にと評価された事。

 しかも、上杉憲基は二十七歳を一期としたせいで憲実は僅か十歳で山内上杉氏関東管領職を襲った。と云っても、十歳の子供になにかができるはずもない。山内上杉家の家宰長尾忠政や諸将の言付けを着実に守る日々であった。ただ、憲実が他の子供と違っていた点は、人の思考や内心を常に慮る少年になった。いかに立身とはいえ、十歳の少年が親元を離れ他家に養子にやられた訳だ。若くして老成するは仕方なかった。

 二歳違いの弟の清方は、父親の越後守護上杉房方の命で兄の元服時に相伴衆として鎌倉に入った。

 上杉清方の云うあの時とは、鎌倉入府したこの時だった。以来、清方は、優秀な兄の陰となってしまったのだ。

「お館様、よろしいでしょうか」

 襖の向こうから声がした。酔いが回っている清方には声の主が誰か分からなかった。

「誰ぞ」

「お館様、忠政めでございます。おくつろぎの処、誠に惧れいります」

 山内上杉家関東管領家の家宰を勤める長尾尾張守忠政が更に重ねた。

「早急にお耳に入れたき事案が発生致しました」

 史書・長尾正統系図に曰く、「文武器量尋常の勇士、凡そ忠功一代武勇の発明、八州の隠れなし」と讃えられ文官として能吏であり、武臣としても名将である。

尾張守か…こんな夜分になんだ…くだらぬ用なら許さんぞ」

「御庭に才賀丸(さいがまる)が参っております。結城城で動きあった由、ご指示頂きたく、早魚(さな)を伴って参っております」

「ほう… 早魚をの…」

 清方の口元が下卑て垂れ下がる。

 庭に面した障子が二尺程開けられた。

 黒地装束のほっそりとした男が跪いている。男の眼には感情らしき揺らぎがない。まるで一匹の蜥蜴(とかげ)がいるようだった。背後には男より更に華奢な紫紺装束の影が跪いている。屋敷内から洩れ出る微かな燈明に映える面容は雪のように白く美しい女だった。ただ、男と同様に眼に感情は無く、凍てついた湖面のようだった。

 才賀丸とその一族は、箱根を根城にする乱破衆である。他の乱破衆と同じく、主君は持たず、金次第で雇われて乱破仕事を請け負う。

「ご下命により結城城探索のところ、昨日早暁、結城の家臣と乱破つくばねの玄明が二人して西に向け出立致しました。如何致しましょうや」

 急に興醒めしぞんざいな口振りになった清方が、

「その家臣とは誰だ」

「結城氏朝の養子となり、嫡子持朝の舎弟に取立られた結城玄蕃友成と申す者。出自は武士では無く猟師だった男でございます」

「元猟師だと…そのような下賤の者を取立てるとは、城方には余程、人がおらんのじゃろ。捨て置いてよいであろう。それより早魚(さな)、はよう着替えてこい」

 急かす清方の早魚にまとわりつく視線が更に粘り気を帯びる。

「御言葉をかえすようですが、友成なる人物は解りませぬが、同道したつくばねの玄明はかなりの切れ者、かつ、腕も立つ男、ただの使い走りとは思えませぬ」

「アー、面倒だ、尾州、そちに任せるゆえ善きに計らえ。…それより早魚、なにをしている。早く早く…」

 片手払いで長尾忠政をぞんざいにあしらい退出させた清方は、侍女に薄衣の支度を申し付けた。

「務めを果たせ」

 才賀丸が早魚に小声で告げる

 氷柱(つらら)に貫かれたような痛みが早魚の背筋を走る。

(この男にとって私は金儲けの道具でしかない)

 いつもの習いで早魚は躰から心を虚しくして人形となった。


 早魚(さな)は本当の名ではない。十九年前の七歳の時、戦に巻き込まれ父母と兄を失った少女には、名前も過去も、そして未来さえも無かった。唯一、首から下げた香取宮の護り袋が身の証だった。

 明日の命さえ危うい少女の命を救ったのは、少女が持つ類稀(たぐいまれ)な美貌と透き通るように皎(しろ)い肌であった。人買い市場で高値で売りに出された少女を才賀丸が一声で買い取った。

 早魚以外にも十数人の少年少女が才賀丸に買われた。彼等は翌日から一人前の乱破になるべく修行を始めた。武術体術の修練、精神力の鍛錬。かの修行の苛烈さは最初の一月で半数が落命するほどであった。

 しかし、才賀丸から早魚と名付けられた少女は、乱破の修行を課せられなかった。代わりに、和歌、歌舞音曲、所作礼法が、くる日もくる日も教え込まれた。武術にしても忍刀ではなく武家の子女が使う小太刀が教え込まれた。

「早魚はええのぉ、べっぴんに生まれてきたんで、きれいなべべ着て、楽な修行ばかりじゃ」

 一緒に買われて少年少女が口々に妬いた。

「バカを言うんじゃねぇ。あれは先々、遊び女か…良くて武家の側女として売られるんだよ、早魚は…」

 一番年長、十二歳の鷹丸(たかまる)が怒鳴った。

「早魚はまた売られるんか…売られるんは嫌じゃ。ここも辛いけど皆がおるけぇ耐えられる」

 愚鈍で乱破では使い物にならず、飯炊きや小間使いに追いやられた犬丸がボソリとつぶやいた。

 買われて八年が経ち、早魚は十五歳になり女になった。女になった早魚を才賀丸は無理やり犯した。

 かといって自分の側女にはしなかった。一つの例外を除いて…

 翌日から兎丸(とまる)と名乗る五十過ぎの男が師となり「房中術(ぼうちゅうじゅつ)」と「本草術(ほんぞうじゅつ)」を教え込まれた。

 房中術とは、中国古来の養生術の一種。房事すなわち性生活における技法で、男女和合の道である。

 また、本草術とは、漢方の薬物学で、薬用とする植物、動物、鉱物の薬理を探究する。

 本来、これらは人の為の知識技能であったのだが、うち続く戦乱を経て、房中術の一部が卓越した性技で男を籠絡する技となった。籠絡した男から利益を引き出したり、場合によっては暗殺や傾国の手段と化した。

 本草術も同様に万物の薬理を探究し病を治療する技術であったのだが、荒々しい時代の要求に抗し得ず、一部の本草師が毒薬、麻薬、媚薬の調合に手を染めた。

 二十歳になった早魚は才賀丸の命ぜられるままに各地の領主小名や都の公家を、教え込まれた房中術で虜にし情報を盗んだり、麻薬で廃人としたり、毒薬を用いて暗殺もした。

 初めは良心の呵責に苛まれもしたが、心が壊れてしまう前に自らの躰から心を虚しくして人形となる術(すべ)を身に着けた。

 関東管領上杉清方が早魚の美貌の噂を聞きつけ早魚を召した。早魚の房中術と調合する媚薬で清方を虜にするのは赤子の手をひねるも同様であった。その恩恵として関東管領上杉家の汚れ仕事の全てが才賀丸の手中となり莫大な富を生んだ。

 半裸で寝間に座る清方の周りを薄衣単衣の下は裸体の早魚が痴態を晒して舞い踊る。しばしば早魚が清方の傍らに寄り、口移しで酒を流し込んでやる。酒には早魚が調合した媚薬を溶かしてある。五度も口移しをすれば、清方の眼は血走り、局所が猛った。

「早魚……わしはもう我慢できん…はようこっち来い…」

「お館様…、早魚ももう我慢できませんわ…早くお館様を躰中で感じたい…でも、男女の交わりの快楽は焦らせば焦らすほどに…」

「そのような意地の悪い…わしはお前以外の女ではもう男になれんのよ…はよう、はよう、はち切れそうじゃ…頼む頼む…」

 血走った眼(まなこ)から臆面なく涙を流し、半開きの口からは夜具を濡らすほどの涎を垂らしている。

 男の醜態に吐き気を覚えた。役目とはいえこれから、こいつに抱かれなければならないと思うだけで怖気が振るった。

(このまま毒を盛って殺してやろうか)

 殺意をすんでのところで早魚は押し留めた。

「婀々…、お館様…早魚を早く、さぁ早く、可愛がり下さいませ…何度も何度も…」

 早魚は薄衣を脱ぎ捨て、清方に覆い被さっていった。

 その夜、早魚の性技と媚薬で清方は何度も昇天した。早魚が清方の寝間を抜け出したのは明け方だった。

 才賀丸が早魚を連れ立って鎌倉山ノ内上杉邸を辞去する際、長尾尾張守忠政に呼ばれ別室に案内された。

 早魚が別室に入ろうとすると

「そなたは庭にひかえよ」

 あからさまな侮蔑を含んだ目で早魚を見ながら、尾州は吐き捨てた。

「おまえは庭でしばし待て」

と言いおいて才賀丸が部屋に入った。

 半刻して才賀丸が姿を表した。

「帰ろう、道々話がある」

 道々、才賀丸が語ったのは、才賀丸、鷹丸そして早魚の三人で結城友成とつくばね玄明を追って西上し、奴らの目論みを探り、明らかにしたのちに二人とも殺せとのご下命だった。討ち取るだけなら才賀丸と鷹丸で事足りるが、目論みを探り出すには早魚の術が不可欠との達しだった。

 

才賀丸一党に関東管領家から与えられた乱破屋敷は鎌倉南端、七里之濱にある。才賀丸は帰り着くなり床をのべ早魚を押し倒す。十五の早魚を犯した才賀丸だったが、普段は早魚に指一本触れない。しかし、早魚が役目を終えて乱破屋敷に帰ると、その時のみ早魚を犯す。さながら獣のそれのように…

 行為が一昼夜に及ぶのは稀ではなかった。

「役目を嫌がりながら、本心は欲しくて欲しくて堪らぬのであろう。子供の頃から育てたわしにわかるのだ。早魚、おまえは生来の淫乱よ。そうだと言え 言わぬか」

 そう何度も叫びながら早魚を責めたてた。そして早魚がボロ布の如くになるとやっと才賀丸は早魚を手放す。


 早魚は才賀丸の責め苦が終わると夏はもちろん、極寒の真冬でも七里之濱で長い間海に浸かる。まるで、躰の内外の穢れを波が流し去るのを念じながら。

「まだ九月とはいえ、そんなに長く浸かってると冷えてしまうだろ。ここに来て火にあたれ」

 鷹丸が濱の流木を焚いて濱に座って待っている。早魚は全裸で鷹丸の隣に座る。幼い時分から仔犬の兄妹のように育った早魚や鷹丸達に無用の羞恥は無かった。

 思いの外、躰は冷えていたのか炎が心地よかった。

「明日の払暁、お前と俺とお館で西に向かうとよ」

 鷹丸は早魚を見ずに水平線を凝視したまま云った。 

 早魚も水平線を凝視したままコクリと頷いた。

 暫くの沈黙の後に鷹丸が毅然と云った。

「早魚、遠出はいい機会だ。二人して逃げるか。いくら乱世でも俺達二人くらい生きていく隙間くらいある」

 今まで感じたことのない人らしい温もりが早魚の心底に広がっていく。しかし、早魚は温もりの広がりを打ち消すように

「おまえは人殺し、わたしは男誑(たらし)でしか生きてこなかった人間だぞ。他になにができるのだ…私達に…」

 早魚は鷹丸に微かな笑みを向け、また水平線に視線を戻した。だが、もう水平線など見ていなかった。その先にあるであろう天涯の果てを見ようとしていた。それは見いだせるはずもなく、あるとしても、早魚達には到底の無縁だと覚ると行き場のない怒りが躰を劈(つんざ)いた。

(あの男達の喉を切り裂いて血の海に沈めてやりたい。だが、心はこれ程に憎みながら、拒めない己の躰こそ九にも八にも切り裂いて七里之濱に沈めたいやりたい)


 翌払暁、三頭の馬が鎌倉から西へ駆けた。


次回ヘ続く

 


※この物語は史実をベースにしておりますが、筆者の創作も多分に盛り込まれております。読者諸兄には何卒ご了承くださいませ