叛乱 結城合戦 第14話

「あなたに私を殺めるなどできるはずもない」

 微かな笑みを浮かべてかすみは出て行った。まさに拈華微笑(ねんげみしょう)であった。

 

 

 


 承前


「いきなり何を云う…妹などと、狂ってしまったか」

 かすみとて逃げ出すのを忘れていた。

「この護り袋が何よりの証。まぁ聞け、かすみ」

「かすみなどではない。名前などもう捨てた」 

 小一郎がかすみの縛りを切りながら、

「かすみ殿、あの乱破に帰参するなり、このまま兄重蔵(玄明)の元にいるなりすきにせよ。ただ重蔵の話を聞いてから決めて遅くあるまい」

 幽(かす)かな記憶を手繰り寄せるかのようにぼつぼつと玄明が語り始めた。

「俺とお前の父・香取玄信(はるのぶ)は、香取神宮宮司である香取下総介(しもうさのすけ)様の眷属(けんぞく・一族と同意)だった。母は香取之大神にお仕えする巫女の一人で秋乃(あきの)といった」

 玄明が乾いた咳をした。

「水でも飲むか」

「ああ、悪いな。頼む」

 小一郎がまた井戸端に水を汲みに行った。玄明は続けた。

「お前の誕生を寿(ことほ)がれた下総介様が晴着にせよと神紋を染め抜いた金襴緞子を下賜された。母はその反物でお前の産着と初宮の晴着を仕立てた。その余りで俺とお前の護り袋をこしらえた」

「もういい。くだらない講釈など聴きたくない」

 それでもかすみは逃げない。

「まぁもう少し聴けよ。つづけるぞ。香取之宮は数ある寺社仏閣の中でも、元旦の払暁(ふつぎょう)、沐浴潔斎なされた帝が、四方拝で遥拝奉る格調高き社の一つ。さすがにその神領を侵す不埒な者はいなかった。だがな、香取神宮神領のある下総(千葉県北部)も他国同様に騒乱の兆しが見え始めた」

 小一郎が戻り、差し出された椀の水を玄明は飲み、残り半分をかすみに勧めた。かすみは戸惑いと怒りが浮かんだ眼で拒絶した。椀はそのままかすみの前に置かれた。

下総国守護 元佐倉城城主の千葉胤直(たねなお)が神領に侵入してきたのは、俺が十一、お前は五つだった。父は討ち死、母も乱戦で死んだ。生き残れた俺は、お前を捜して焼け野原を彷徨った。頼りはこの護り袋だけさ……でも、兄ちゃんは…、かすみを捜してだしてやれなかった…ごめんな」

「……」

 かすみは無言で護り袋を掌で包んでいた。

「…そのあと俺は下総介様に神人としてお仕えしたが、いつの間にか流れ乱破になってしまった。今は筑波山神社の配下で結城方に与している。……自棄(やけ)になって人には云えねぇ所業もたくさんした。お前と同じよ。ただな、この護り袋だけは手放せなかった。それも同じだろ、お前も…」

「………」

「…………」

「いきなりで信じられないのもわかるが、お前の兄貴は信じられる男だ」

 沈黙を断つため小一郎が云った。

「もう才賀丸の手下はやめろ。俺と一緒に行こう」

 かすみの両肩を強く揺すりながら玄明は云った。

 揺すられるがままでかすみは玄明の顔を見つめた。そして、かげろうのような寄る辺の無さで立ち上がり、

「何をいまさら…もう遅いよ…」

 そう呟き、座敷を出ていこうとするかすみの背に玄明は叫んだ。

「なにが遅いのだ、俺はお前を才賀丸の元には返さない。力ずくでもだ」

 玄明が苦無(くない・小刀)を抜いた。すかさず小一郎が二人の間に割って入り、

「ばか、止めろ。兄妹がやっと会えたのに…」

「こいつが返ると言うなら、俺は本気だ。あんな地獄に返すくらいなら…俺が…ひと思いに…」

 それでもかすみは歩みを止めず、土間に降りた。かすみはスッと振り返った。

「あなたに私を殺めるなどできるはずもない」

 微かな笑みを浮かべてかすみは出て行った。まさに拈華微笑(ねんげみしょう)であった。

 

 

曳間宿(現浜松市) 甲江山鴨江寺の庫裏


 甲江山鴨江寺(こうえさんかもえじ)は、奈良朝天平年間、行基大徳によって開山された遠州では指折りの古刹である。

 寺宝として伝来されてきた逸品が多数あり、中でも古文書には特筆すべき品が多い。著名な品を以下に列記すると、

後醍醐天皇綸旨(元弘3年7月15日)

豊臣秀吉抄掠禁制(天正17年1月2日)

徳川家康半物(天正14年9月7日)

他に各地大名の発令した古文書が多数残っている。これはこの地が古より交通の要衝で人や物がいかに行き交ったかを物語る。


 才賀丸のような賤しき乱破にしてもこのような大寺を宿所にできるのは、関東管領上杉家の下し文の力であろう。衰えたとはいえ関東管領の威光は大といえた。

 才賀丸は、寺男に配膳された芋粥を喰っていた。四杯目を所望したが、寺男は空になった手鍋の中を見せて庫裏(くり・寺の食堂台所)を出て行った。

 楊枝を使い、白湯を飲み干した才賀丸は満足気に欠伸をした。

「頭、聴いておられますか…早く早魚を救い出さなければ、殺されてしまいます。俺が行きます」

「大丈夫だ。玄明は早魚の命は獲らない。いや、獲れないよ」

「…何を証に…」

「儂と玄明は古い知り合いよ、時には敵、時には味方。命の取合いをしたのも一度や二度ではない。…まだ儂らが知り合って間もない若い頃よ。玄明の首にぶらさがっている護り袋をついと触ろうしたら真顔で睨んてきやがった。謂(いわ)れを尋ねると親の形見で、いまは生死も判らぬ妹との唯一の証と応えた」

「護り袋って…まさか…あの…」

 才賀丸は、両手を叩き寺男を呼び茶を望んだ。茶は高価だと断る男に才賀丸は金を握らせた。金で男は掌返しに愛想よくなり茶を入れに行った。

「そうだ、早魚の首からぶら下がっているあれよ。儂も早魚を最初に抱いた時は驚いた。玄明と同じ護り袋がぶら下がっていたんだからな」

「それを早魚には…」

「教える訳が無かろう。兄がいるなどと知ったら里心ついて使い物ならなくなるでな。ただ、玄明の妹の体を蹂躙するのはこの上もない快感よ。ましてや早魚はあの美貌、堪らなかったぜ」

 鷹丸は、これまで才賀丸に対して殺意を抱いたことが何度かはあった。芽ばえた殺意を養ってくれ技を仕込んでくれた恩義で殺意を相殺してきた。しかし、(俺はこの男を必ず将来殺すであろう)との確信が、鷹丸の内に生まれた。

「早魚も今はあんな下賤な身の上だが、元は香取大宮司の身内よ。そんな高貴な血筋の女を組み敷き、我が意の儘にする。関東動乱、さまさまよ…ところで、鎌倉に鳩はもう飛ばしたか」

「明日の夕には虎丸と龍丸、獅子丸の小頭が着くかと」

「奴らの行き先が播磨の赤松満祐のところ、詳細は書状で玄蕃(げんば・小一郎)が所持していると分かったのならもう生かしておく必要ない。眠くなった。少し寝る。何かあれば直ぐ起こせ」

 才賀丸が本堂の奥に設えられた寝所に向かった。

 鷹丸は拳を握り込み微かに震えていた。

「お茶を淹れて来ただ。あれ、旦那は…、いねぇでか…ならここへ置くでな。」

 云い置いて男は庫裏を出て行った。

「畜生、絶対に殺ってやる」

 眼の前の茶の入った椀を壁に叩きつけた。椀は木っ端微塵に砕けた。


 庫裏の板敷で熊の毛皮一枚に包まって鷹丸は横になっていた。早魚(かすみ)がどうしているか、気になって寝付けない。才賀丸は殺されないと云ったが安心はできない。すぐにもあの木賃宿に取って返したいが、もし玄明と和解していたらとんだ邪魔者になってしまう。

 懊悩する鷹丸がその物音に気付いたのは、子の刻(零時)を幾分過ぎた深夜だった。それは庫裏の引き戸を小さく叩く音だった。

 鷹丸は戸口に近寄り、

「誰だ…」

「…」

「返事をしろ」

「……、わたし…」

 閂(かんぬき)を開けるのもまどろこしかった。

「無事か…傷はないか…」

「大丈夫だ。なんでも無い」

 それでも鷹丸は早魚(かすみ)の体のあちこちを触って痛がらないか確かめた。

「傷はないようだな。よかった…本当によかった」

「大袈裟にするな」

 鷹丸は土間に降り、鷹丸は水屋を覗いた。

「腹減ってないか。えー、昆布漬けがあるくらいだな。よし、すぐ粥を炊いてやる。ちょっと待ってろ。その熊の毛皮に包まって休んでろ」

「寝てたんだろ、起こしてすまない」

 と云いながらも、早魚は熊の毛皮に包まって板敷に横になった。

「でも何故帰ってきたりしたんだ。あの乱破はお前の兄貴だろ…頭から聞いたぞ。あいつならお前を守ってくれたぞ」

 竈に焚べた薪の焔(ほのお)が紅から朱に変わった頃合で鉄鍋に米を入れ竈に乗せた。

「鷹丸…お前はそれでよかったのか…」

「エッ…」

 絶句した鷹丸は、鍋をゆっくりと掻き回していた菜箸を落としそうになった。

 振り返った鷹丸を捉えていたのは、まっすぐ鷹丸を見詰める早魚の視線だった。その視線は、早魚の瞳に映える竈の焔にも増して熱を秘めていた。

「早魚帰ったのか。兄貴はどうだった。大して嬉しくもないだろう。帰ってきたのなら丁度いい、今夜、夜伽をせい」 

 いきなり開いた戸口に立った才賀丸が下卑た眼つきで早魚の体を舐め回した。才賀丸とは目も合わせないまま頷き、早魚は畏(かしこ)まった。

「頭、お願いいたします。せめて今夜だけは…、ご勘弁下さいませ」

 鷹丸が割って入った。

 才賀丸は、ツカツカと鷹丸に歩み寄り、胴を力任せに蹴り上げた。次に息ができない鷹丸の頭を踏みつけにし、

「儂に意見などできる分際か、犬畜生のような境遇だったお前達が人がましい暮らしができるのは誰のお陰だ。えーどうなんだ早魚、返事せい」

「頭の御慈悲のお陰でございます。感謝しております。薬をすぐ調合して寝間に参上いたします。ですから、鷹丸をどうかご容赦下さい。後生でございます」

「分かればいいのだ。鷹丸、二度と儂に逆らうな。つぎは殺すぞ」


 鷹丸は井戸端で有明の月を見ていた。早魚が才賀丸の寝間に呼ばれてから我が身の不甲斐なさで一睡もできないまま月を睨んでいた。

 薄明かりが辺りをやうやう皓(しろ)くする時分、早魚は庫裏から出て来た。

 鷹丸に気付いているはずだが、何も云わず、早魚は井戸端で何度も水を浴び始めた。務めの後は必ず海に浸かる。海が無理なら井戸で水を浴びる。

「早魚…」

「私の体の穢が落ちるまで声をかけるな」

 一頻り浴びたあとだった。早魚が一糸纏わぬまま鷹丸に駆け寄り抱きついた。寒さなのか悲しみなのか早魚の体の震えが止まらない。

「前にお前が私に云ったのは本心か…一緒に逃げようと云ったな…」

「当たり前だ、お前が良いなら今すぐでも、どこまでも」

 早魚の体の震えがビタリと止んだ。早魚の唇が鷹丸の首筋に軽く触れ、そして、

「ありがとう、行こう。そう今すぐだ。鷹丸」

 鷹丸は早魚の体を精一杯の力と想いを振り絞って無言のまま抱きしめた。

「一つだけ頼みがある。お前が一緒になってくれるなら、穢れた早魚(さな)と云う名はこの場で捨てたい。これからは父母が名付けてくれた(かすみ)が私の名だ。それでよいか」

 首肯(しゅこう)の代わりに更に力を込めてかすみを鷹丸は抱きしめた。


次回ヘ続く


※この物語は史実をベースにしておりますが、筆者の創作も多分に盛り込まれております。読者諸兄には何卒ご了承くださいませ

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