叛乱 結城合戦 第12話

さぁ、全て申されませ。玄蕃さま。早魚が、あなた様の苦しみや悲しみの全て背負って差し上げます

 

 

 

承前  

 

 小一郎は、早魚(さな)と名乗る女の発する艶麗な色香に逡巡(たじろ)いでしまった。ましてや、女を縁取る彩光に恐怖を感じた。

「俺はどうしたというのだ。頭が可怪しくなったのか…」

 早魚の真っ白な指が小一郎の掌をそっと何度も撫でた。撫でられた掌からざわつく快感が小波(さざなみ)のように五体を巡った。小一郎の体は指一本さえ己(おの)のままにならなかった。

「玄蕃さま、お辛かったですね。まだ幼き童(わらべ)が、いかに才を愛でられたとはいえ、他家に仕えるなんて…よくぞ耐えられた。よくぞ頑張りましたね」

 小一郎の耳元で囁く早魚の声音が、湯に浸かっているような浮揚感と温もりをもたらした。

「もう頑張らなくてもよいのですよ。もうどこへも行かずともよいのですよ。このまま、早魚の懐でおやすみなさい。あなたがやらなければならぬ事はすべて、早魚がして差し上げます。何をして欲しいのですか。さあお話しくださいませ」

 座敷と三和土(たたき)を分ける障子の隙間から宿の主人が成り行きを覗いていた。背後には才賀丸と鷹丸がいた。

「旦那、ありゃすごい薬だぁ。あの侍が飯を作ってる隙を突いてほんの少し汁に混ぜただけだよ。完全に正気を失ってるでな」

「静かにしろ。喋るな」

 鷹丸が主人を叱った。にもかかわらず、

「あの薬、わしにも分けてくれよ。あれがありゃ一儲けできる。それとあの侍はどうなるんだ」

 才賀丸が刀の鯉口を主人の頭上で切った。

「わかったわかった、もう喋らねぇよ。こっちは銭さえ貰えれば文句はねぇ」

 座敷を血で汚さねぇでくれと念押しして主人は出ていった。

 座敷では早魚が仕上げにかかっていた。

「さぁ、全て申されませ。玄蕃さま。早魚が、あなた様の苦しみや悲しみの全て背負って差し上げます」

 小一郎は、童に戻ったような無垢な口調で、

「俺は…淋しくなんかないぞ…。でも、俺は侍などなりたくは無かった。ただの猟師でよかったのに…」

 掌を撫でていた早魚の手が小一郎のうなじを抱き寄せた。

霞ヶ浦に帰りましょう....全てを投げ捨てて霞ヶ浦に帰りましょう。玄蕃さま」

「でも、俺は…、大殿から御下命を受けたんだよ…。とっても大事なご用なんだ」

「ご下命は玄蕃さまに替わって早魚が果たしますから…教えてくださいませな」

 小一郎の耳元で吐息混じりに早魚が囁いた。

(落ちた)と才賀丸も鷹丸も確信した。

 

 

 早魚(さな)の薬術によって、小一郎が誑(たぶらか)されなんとするほんの半刻(約一時間)前、玄明は煮売屋で久しぶりに酒を遣っていた。肴は豆と大根の煮染。

「宿場はずれに白狐が出たって話、知ってっか」

 玄明の脇で街道人足衆がくだを巻いていた。

「なんだいそりゃ、初耳だぜ」

「オラァ聞いたぜ、その話よ。えらい別嬪(べっぴん)な女が侍を探しているって話だよな」

 沙魚(はぜ)の塩煮を一匹丸ごと口に放り込み、濃酒(だみざけ)を飲みながら人足の一人が続けた。

「人相書きを見せて来て、こっちが知らないと応えると一瞬で消えるってよ。侍に惚れた白狐が想い人を探してるらしい」

 自分の徳利を摘んで、玄明が人足達に躙(にじ)り寄った。

「そんなにいい女かい、その女は。まぁ一杯やってくれ」

「あんたも嫌いじゃないね。見かけない顔だが、旅人(たびにん)かい」

「その女狐を今日は見かけたか」

 玄明の問いかけに、男達はお互い顔を見回し首を横に振った。

「目当ての想い人、見つけたんじゃねぇか」

「どうもありがとよ。続きはこれでやってくれ」 

 男達の前に幾許(いくばく)の金を玄明は置いた。

「あんた、どうした。どこいくね」

 男達の言葉に、徳利ごと飲み干した玄明は云った。

「決まってるさ、狐退治よ」

 

次回ヘ続く

※この物語は史実をベースにしておりますが、筆者の創作も多分に盛り込まれております。読者諸兄には何卒ご了承くださいませ。