湯で身の汚れを雪(すす)ぎ、髪を洗い、椿油で沢(つや)を施し、禿(かむろ)に調える。
眉を引き、頬に朱を差し、唇には紅を擦(なぞ)る。
濃紫(こむらさき)の狩衣(かりぎぬ)と同色の指貫(さしぬき)の稚児装束、烏帽子(えぼし)ではなく、女児に似つかわしい前天冠(まえてんがん)という念の入れようだった。
承前
相州鎌倉 女衒(ぜげん)の宿
「乱取り」されて何日が経ったのかわからないまま歩かされた挙げ句、四面が土壁、明り取りさえもない黴(かび)の饐(す)えた臭いの満ちた板の間にかすみ達は放り込まれた。漏れ聴こえてくる大人達の話に「かまくら」との言葉がよく混じった。
よってかすみ達は相州鎌倉の町屋に連れてこられたと知れた。
頭目が引き連れていた十四人の子らは途中でいくつかに分かれ、ここにいるのはかすみを含め五人だけだった。最年長は十二、三歳の少年、あとはかすみを含めて十歳に満たない女児が四人だった。
乱取りの頭目と他の男達は、かすみ達と引換に銭の入った麻袋を押し頂いて宵の闇に消えた。
隣部屋との仕切りになっている藁筵(わらむしろ)をはね上げて男と女が入ってきた
「なにボヤッとしてんだよ。あたしがここの女将だよ。この人がこの店の親方だ。早く土下座して挨拶したらどうだい」
女将と名乗る女は、顔色が蒼白く目尻は吊り上がった狐顔だった。
まだ幼いかすみ達は成すすべも無く顔を見交わした。
「はなしが通じないのかい、おまえたちは…土下座して頭を床に押しつけるんだよ。あーじれったいね」
狐顔が居並ぶ女児への張り手を振り上げたその時、年嵩の少年が、彼女らと狐顔の間に割込み、土下座して頭を床に押しつけた。それを見たかすみ達が急いで少年を真似た。
「お前、目端が利くじゃないか。ガキどもに色々教えてやんな」
「女将、イビリもそれくらいにしとけ。おあしを払ったからには、こいつらはもう商売物だ。キズもんにしたら大損よ、特に女は」
「親方は女に甘いよ。どうせ、女になったらみんな喰っちまう魂胆だろ。そっちがよっぽど非道だよ」
「先で困らないように色の道を教えてやるんだ。せめてもの親心だ」
「フンッ…ものも云いようだ…おい、お前たち、晩飯喰ったらとっとと寝ちまいな。えーっと、晩飯はなんだったっけね」
「あの…きじ汁です…」
かすみが小さな声で返した。
「エッ、なんだってお前知ってるんだい、気味が悪い子だね」
「外の紙の札に書いてありました。ごめんなさい」
更に消え入りそうな声だった。
「お前、字が読めるのか…こりゃ驚いた。でもさ、字が読めたって、もうお前たちどうにもなりゃしない身の上に堕ちたのさ」
そう悪態をついて女将は出ていった。
親方はかすみの前に胡座(あぐら)かいた。
「書くほうはどうだ」
「かなと少しなら漢字も…」
親方はしばし考え込んだ。
「アッ、それはなんだ」
親方がかすみの護り袋を目端にとらえた。首から外し、手に取ってじっくり調べた。
「香取の神紋が染め抜かれた金襴緞子…お前、香取宮の縁者…武家の出か」
親方が出て行った女将を呼び戻した。
「箱根の頭領が武家の出の女の子どもを探してたよな。お前覚えてるか」
「あぁ、覚えてるさ。でもさ、器量良しって条件だよ。こんな薄汚いのだめだろ」
「試しに湯に入れて、化粧(けわい)、衣裳してみろ」
「無駄だと思うけどね…わたしゃもう飯食ってるだよ」
「黙って云われた通りにしろ。さもなきゃお前でも容赦しない」
親方が小刀の鯉口を切った。
冷めた稗粥(ひえがゆ)ときじ肉などかけらも残ってない名ばかりのきじ汁を五人は貪るように食べた。かすみと少年以外は食べたらすぐ床に転がって眠りに落ちた。
少年は起きてこのあとのかすみの成り行きをみるつもりなのか、膝を抱え座ったまま、横にはならなかった。
「湯の支度ができた。早く入りな、出たら妓(おんな)どもに化粧してもらいな。…親方も何考えてるのかねぇ」
女将がかすみの頭を小突き回して湯を張った大桶に連れていった。
半刻ののち、かすみは帰ってきた。
湯で身の汚れを雪(すす)ぎ、髪を洗い、椿油で沢(つや)を施し、禿(かむろ)に調える。
眉を引き、頬に朱を差し、唇には紅を擦(なぞ)る。
濃紫(こむらさき)の狩衣(かりぎぬ)と同色の指貫(さしぬき)の稚児装束、烏帽子(えぼし)ではなく、女児に似つかわしい前天冠(まえてんがん)という念の入れようだった。
親方は云うに及ばず店の男衆女郎衆、果ては、狐顔までもが目を見張り、二の句も継げぬ神々しいまでの変化(へんげ)であった。
「売りに出すのが惜しい。手元においておきたい。実に惜しい、惜しい」
親方は心底惜しげだった。
「何云ってんだい。これだけの上玉だよ。売らないでどうするんだい。あんたが囲ったって一銭にもなりゃしない。そんなことより、さぁさぁ、夜の稼ぎ時だよ。親方、帳場に入っとくれ」
女将は、そう云うなり、そそくさとかすみの衣裳を剥がし始めた。瞬く間に裸にされたかすみは、元の弱々しい雛(ひな)に戻ってしまった。
「わかったよ、うるせぇ。それにしてもあと五年もすりゃ…あー、もったいねぇ」
全裸に等しい姿のかすみに下卑た視線を絡ませたまま名残惜しげに親方が帳場に戻っていった。
羞恥と寒気でうずくまったかすみに年嵩の少年が自分の木綿の単衣(ひとえ)を脱いでかけてくれた。
彼の所作は不調法で素っ気無かったが、かけた布の端々まで気を配り、かすみの躰が僅かでも見えないようにした。
「ありがとう…」
少しでも微笑もうとしたかすみだったが、怒ったようなしかめっ面になったのみだった。
「それ着とけ、おれは大丈夫だ」
「うん…わかった」
かすみは身に余る大きさの単衣に袖を通した。
初めて嗅ぐ強い臭いだった。だが、不思議と嫌悪を感じなかった。
床に敷かれた筵(むしろ)に身を横たえたかすみは、初めて嗅ぐ匂いに包まれて眠りについた。今夜は、母を喪うあの夢は見たくないと祈りながら…
次回ヘ続く
※この物語は史実をベースにしておりますが、筆者の創作も多分に盛り込まれております。読者諸兄には何卒ご了承くださいませ