叛乱 結城合戦 第20話

二人に告ぐ。本日ただ今より過去の全てを忘れよ。未来の全てを諦めよ。ひたすら我が一族への忠のみ尽くせ

 

 

 

承前


鎌倉 人買市場


 鎌倉で人買市場が立つのは、朔日(ついたち)と望日(もちのひ十五日)だった。若宮之大道の一つ脇の小路、今では小町と呼び習わされている隘路の廃寺がその場所だった。

 廃寺とはいえ背後には鎌倉五山傘下いずれかの塔頭(たっちゅう)が胴元になって上前をはねているはずだった。今だに博打や遊廓の上前を寺銭(てらせん)と呼ぶのはこの旧弊に依る。

 本来、かすみ一人の売立であったが、男手の求めもあるやとの思惑が働き、親方は少年も同道してきた。

 かすみ以外の三人は、買い手もつくまいとされ、あの狐顔の下で禿となり、遊女支度をしていくと決まった。

 廃寺に到着するやいなや、かすみは過日の如く、化粧(けわい)と装束(しょうぞく)に身繕いされた。

 本堂であったであろう広間で競りが始まった。ところが、かすみは競りに陳列されず、親方に手を引かれ本堂奥に連れて行かれた。かすみのすぐ後に少年が続いた。

「これから会うお方は、それはもう恐ろしいお方よ。滅多なこと云うでないよ。はいはいと返答するだけでな。さもないとうぬらはもちろん、わしまで命無くなるでな」

 三人は、継ぎはぎだらけのみすぼらしい襖の前まで来て居住まいを正して座った。

「箱根の頭領、御所望の品を持参の上、罷り越しました。何卒御見分くださいませ」

 口先の脅しではないのだろう。親方の口上は震えていた。

「遅いではないか。わしがおまえに注文して何ヶ月が過ぎたと思うておるのじゃ。あとひと月も待たせたら、おまえの首と胴は泣き別れだったぞよ。まぁよい、中にはいれ」

 その声で襖が開けられた。開けたのは着飾った遊妓だった。

 外見(そとみ)は、散々たる廃(すた)れ寺だが、人ひとりがにじり入れるほどに開けられた襖の向こうは、何本もの燈明で皓く照らされた別世界だった。

 書院造りの設えは、畳敷で座敷の広さは二十畳はあった。襖の内面は鬱金の箔地に二羽の鳳凰が描かれていた。鳳凰図は襖四領を一副とする絢爛な錦絵になっていた。帳台構えには、竹林の七賢図が雄渾な筆致で描かれていた。鳳凰も七賢もその画風は、豪壮にして典雅であった。五山の名だたる画僧の手によるものと察せられた。その分、人買市場には似つかわしくなかった。

 座敷にはしどけない成りをした遊妓が五人、取持の奴(やっこ)が二人、囃子が三人、やけくそ気味に乱痴気騒ぎをしていた。

 主客の男達は、奥の書院を背にして中央には、黒袴に陣羽織を着た凶相の男が遊妓の酌を受けていた。右脇には僧形の大男が遊妓の胸元に毛むくじゃらの腕を突っ込んで乳房を揉んでいた。左脇には幽鬼のような邪気を腹蔵(はら)んだ侍が寝転がって肘を立て独酌で不味そうに杯を重ねていた。

 親方はかすみを押し立て箱根の頭領と覚しき陣羽織の前に膝行(しっこう)した。

 親方の横にちんまりと座ったかすみを見るや、箱根の頭領は目を見開き、破戒坊主は好色で目が濁り、幽鬼は打たれたように起き上がり座り直した。

「待たされた甲斐はあったな。ウン…良いぞ。この子なら仕込み次第で使い物なるぞ、ようでかした。酒坏(さかづき)をとらす、一杯やれ」

 陣羽織は遊妓に顎で合図をした。遊妓は朱塗の高坏(たかつき)を陣羽織の面前に据えた。高坏に陣羽織は並々と澄(す)み酒を注いだ。

「親方、遠慮なくやれ」

「畏れ入ります。頂かせて戴きます」

 親方は、高坏を両手で頭上に捧げたのち、一気に呑み干した。

「才賀丸殿…、この子をどうするおつもりか…」

 幽鬼は才賀丸に問うた。

「獅子丸、関東は更に乱れるぞ。乱れれば乱れるほどに我等が伸し上がれる。立ち廻り次第では大名も絵空事ではないぞ」

 才賀丸は、更に云い募った。

「乱世で物言うは、一辺倒の武辺ではない。関東諸将の内情や動向の見極めよ。別嬪に格別の色の道を教え込んだ後、ここぞという武家に送りこむ。わしの狙いはそれよ」

 別嬪は管領殿や諸大名を誑(たら)し込む貢物(こうぶつ)なると才賀丸は云いたいのだ。

「わしは一辺倒の武辺者じゃ…」

 獅子丸は、ゴロリとまた寝そべり喉に酒を放り込む。

「そう気を悪くするな…お前の腕前は関東随一なのは間違いない」

 才賀丸は獅子丸を形だけ宥めてから、親方の後方で無沙汰気な少年に目を留めた。するといきなり、小柄(こつか)を少年をめがけて放った。狙いは座興ではなく胸下を狙っていた。

 少年の心の臓を貫く筈の小柄は、鈍い音を立て畳に刺さった。

 そう、少年は目にも止まらぬ機敏さで後方宙返りを決めてすっくと立っていた。

「小僧、やるではないか。乱破修行はどこで積んだ」

「信州…」

信濃…、戸隠者か…で、小僧も売りつけたいのか、親方」

「へい、ガキながら中々の遣い手なんですよ」

(このガキにまさか武芸の心得があるとは…とんだ拾い物だったな)

 親方は内心でほくそ笑んだ。

 少年は、不遜な面構えのせいで路々で売れ残り、場違いな女衒の宿に流れ着いてしまった。

「こっちは女しかいらん。男は付け物なら引き取ってやるぞ」

「箱根の頭領、そんな無体な。小僧にしたって探したんですぜ。頭領に気に入って貰えるとおもえばこそ…」

「親方、嘘をつくでない。たまたまであろうが…見え見えだ」

 獅子丸が親方に刺すような視線を送って云った。

「銭三百でどうだ。それ以上はビタ一文出さん。嫌なら小僧は連れて帰れ」

 才賀丸が有無ない強い口調で言い渡した。

「仕方…いえ…よろしゅうございます…。誠におありがとうございまして」

 親方は、二人に振り向き、

「二人共、頭領様の下命に決して逆らわぬようにな。死にたくなくば」

 親方は深く平伏したあとにじり下がって云った。

「お前達は今日より我配下ぞ。是非は云わさぬ。心得よ」

「頭、こいつの名はどうするよ…」

 はやくも龍丸は、かすみを腕(かいな)に引っ張り込み、体を撫で回し始めた。

 かすみは体を硬直させ、紅を指した唇は今にも切れて血が流れんばかりに噛み締められ、怒りに震えていた。

 少年が再度、宙を飛び、龍丸の眼前に仁王立ちし、龍丸の腕からかすみを奪い返そうとした。

「こんガキ、俺を舐めるな」

 かすみの薄い肩を羽交いじめにしようとした少年は、龍丸の肘打ちの一撃で襖に叩きつけられた。

 龍丸が再度、かすみの体に手を伸ばそうとした。

「うっ…頭…やめろ…何のつもりだ」

 才賀丸が無言で龍丸の喉笛に短刀を突きつけた。

「龍丸、一度しか云わんぞ。今後そいつに指一本触れるは許さん。先々、こいつは大名どもに供する女に仕立てる。お前などの手付けなどもってのほかだ」

「分かったよ…刃物を納めてくれ。決して手出しはしない…」

「龍丸、おまえの稚児好きは病膏肓(やまいこうこう)だな。寺を追放になったのも稚児好きが過ぎたのであろうが」

 眼前の仕儀には鼻もかけず呑んでいた獅子丸が吐くように云った。

 かすみを突き飛ばし、龍丸は後ろに転がり刃先を避けた。

 哀れな囚人(めしゅうど)となった一組の少女と少年に向かい才賀丸は、

「これよりお前の名は早魚(さな)とするぞ。今夜の焼き物の落ち鮎は大層旨かった故な。小僧、お前、随分と身軽だの。そうだな…鷹丸とでもするか」

 才賀丸は立ち上がり、重々しい音声を放った。

「早魚、鷹丸、二人に告ぐ。本日ただ今より過去の全てを忘れよ。未来の全てを諦めよ。ひたすら我が一族への忠のみ尽くせ」

 稚い早魚と鷹丸には才賀丸の宣告の意味など解りはしなかった。しかし、絡新婦(じょろうぐも)の絲のような禍々しさで二人の身と心は絡め取られてしまった。

 

次回ヘ続く

 

※この物語は史実をベースにしておりますが、筆者の創作も多分に盛り込まれております。読者諸兄には何卒ご了承くださいませ