叛乱 結城合戦 第18話

夢の中で嗅ぐ佳い薫りだけが母の寄る辺だった。その薫りが金木犀と知った時、かすみはすでに今の境遇に落ちていた。

 

 

 

 

つかの間の寄る辺


「かあさま…かあさまはいつもいいかおりする…」

 かすみは両の手で母の両の肩にしがみついていた。

「わたし、かあさまのかおり、だいすき…ねぇ、かあさま…」

「呑気な口などきかないで、肩から落ちないよう母にしっかり掴まるんですよ。すぐ後ろには敵の手勢が迫ってるの…かすみ、わかりましたか」

 かすみは、落ちまいと母にしがみつく指に力を込めた。なのに力を込めた指が空を掴んだ。

「かあさま、かあさま、かあさま…どこ…かあさま…」

 母を呼ぶ自分の声でかすみは目覚めた。

 目覚めたかすみの鼻腔の奥に夢の中の母の薫りが未だあった。

 夢中であんなに強く強くしがみついていた母の顔をかすみは、とうに思い出せなくなっていた。

 夢の中で嗅ぐ佳い薫りだけが母の寄る辺だった。その薫りが金木犀と知った時、かすみはすでに今の境遇に落ちていた。

 

 小一郎達が策を巡らせている同時刻、手足を縛られ猿轡(さるぐつわ)に目隠しをされたかすみが、鴨江寺の土蔵の暗がりに転がされていた。

 同じ夢を幼き頃より何度も見た。父母の面影、兄の存在さえ忘れてしまったかすみにとって、この夢だけが、かすみと母を結ぶ唯一の絆だった。だが…もう違う。

「私はもう独りぼっちじゃない。たとえこのまま死んでも、もう独りじゃないわ」

 かすみは遠い昔に想いを馳せた。

 彼女が思い出せる一番古い記憶は、燃える家々の傍らで泣き叫ぶ人々と無惨な亡骸(なきがら)となって横臥する人々だった。

 そんな阿鼻叫喚(あびきょうかん)の巷(ちまた)を七つのかすみは彷徨(さまよ)っていた。

 遂には日暮れに困憊(こんぱい)と空腹で動けなくなった。

「おい、ガキ…どうした、独りか」

 足軽胴丸に打刀姿の男三人がかすみを囲む様に立っていた。男達は背後にかすみと同じ年頃の子供を何人も連れていた。その子等はそろいもそろって煤と血で薄汚れ、虚ろな視線を宙にさまよわせていた。

「腹減ってるならお前も来るか、それとも野垂れ死ぬか」

 頭目格らしき男が云った。かすみは無反応だった。いや、感覚が遮断されてしまっていたというのが正解だった。

「アニキ、ほっとこうぜ。このガキはすぐ死んじまうぜ」

「だな…次いくか。早くしねぇと他に取られちまう」

 彼等は勝戦に乗じて「乱取り」の真っ最中だった。

 足軽の分際では大将首でも獲らぬ限り何等の恩賞も無い。その代わりに戦のドサクサに紛れて金品の強奪、人身を誘拐し人買いに売る。特に女子供は高く売れた。

 上杉謙信武田信玄ほどの名将と言えども「乱取り」を抑止できなかった。抑止などすれば兵が集まらないからだ。

 一旦、立ち去ろうとした頭目が、一瞬立ち止まり、すぐ踵を返し、かすみの前に立った。

 かすみのザンバラ髪を払い顎先をつまんで矯(た)めつ眇(すが)めつかすみの顔をながめた。。

「こいつ、磨けば金になるタマかも知れねぇ」

「マジですかい。信じられねえょ」

「長らくこれで喰ってきた俺の目に狂いはない…」

「おまえ、歩けるか」

 頭目か問うた。

 かすみは、また無反応で応じた。

「吉(きち)、このガキを背負え」

「なんでおれが…割り前くれんのかよ」

「ガタガタ云うじゃねえ、この野郎、俺の言う事が聞けねぇてか」

 頭目が、吉と呼ばれた男のケツを蹴り上げて怒鳴った。

「わかったよ、アニキ そんなに怒んなよ」

 吉は小声でまだブツブツ言いながらもかすみを背負って歩き出した。

 

次回ヘ続く

 

※この物語は史実をベースにしておりますが、筆者の創作も多分に盛り込まれております。読者諸兄には何卒ご了承くださいませ