叛乱 結城合戦 第6話 

うぬら、兵を退けー! 我が掲げし二つ引両(ふたつひきりょう)の御旗に刃(やいば)を向けるは、即(すなわ)ち逆臣也。汝(なんじ)、清方、私欲に目が眩み主君の何たるかを忘れたか

永亨十二年(1440)七月 鬼怒川河畔 初陣


 結城合戦の初戦は、永享十二年、七月十一日に突然始まった。朝ぼらけ、幕軍による大手口奇襲だった。斬り込みは無く矢合わせのみだった。

 双方に怪我人がでたが、死者はいなかった。

「矢合わせのみで切り込みがないのはどういった訳だ」

 大手櫓に立つ黒田将監持成がボソリと云った。

 救援のため駆けつけた小山広朝が、持成に並び立ち、退いて行く寄せ手の最後尾めがけて弓を引き絞った。

「当方の戦意と戦備を探りたかったのであろう」

 放たれた矢が鳥が哭くような音をたて飛んでいき、雑兵の右肩を貫いた。

「小山様、大殿がお呼びです。急ぎ軍議の席へお戻りください」

 阿見小一郎が櫓の下から叫んだ。

次の的を狙い矢を番(つが)えた広朝だったが、ゆっくり矢を靭(うつぼ)に戻した。

「兄者がお呼びとな…戦の最中というのに…仕方ない。相分かったと伝えてくれぃ」

 氏朝と広朝は兄弟である。双方とも小山氏と結城氏の当主となったのを境に表向きには、あにおとうとの呼称を辞めている。


広朝が軍議の間に入ると、氏朝と持朝、八郎久朝、桃井憲義等が、小山城下の絵図面を前に思案中であった。

「関東各地に放ってある乱破(らっぱ・忍びの者)の注進により、同族の従兄弟小山持政が寝返り、小山城を乗っ取った。広朝殿の嫡子と正室は、小山氏の菩提寺天翁院に監禁されている。広朝殿、至急、小山に戻り、裏切り者持政の首を挙げてくれ。援軍は望むまま引き連れて良い」

 氏朝の下命にしばし黙考した後、広朝は、

「私は結城を離れない。今、結城一族の私が結城を離れれば、当方の結束を疑い、内部瓦解の惧(おそ)れともなろう。拠って、私は結城に逗(とど)まる」

「しかしがら、叔父御…、広成と叔母上の身上を如何にする。直にも救出に向かわねば…」

 二年前に元服したばかりの小山広成は、持朝とって年の離れた弟のような従兄弟であり、広朝の正室結の方は、幼い頃より可愛がってくれた叔母であった。広朝が義を説くようなら持朝が情を以て救出に向かう気になった。

「叔父御に対して持朝、物申す。我等が御所様を推し戴き無謀とも思える挙兵したのは何故か…、利ではないのは申すまでもない。義ならば京におわす武家の棟梁義教公に刃向かうは不義に当たる。ただ一重、旧主の忘れ形見たる稚き三兄弟を見殺しに出来ぬ情ではなかった。如何に義に叶うとも人の情に叶わないのは正義ではない。叔父御、そうではありますまいか」

「持朝、熱り立つな。広朝殿の苦衷を察せよ」

 氏朝は、滾(たぎ)った持朝の心中を醒ますかのような静かな声音で云った。

「がしかし…」

 更に喰い下がる持朝に対して氏朝が、

「ここは広朝殿の判断に御任せする。もし、救出に出向くならいくらでも兵を出しましょう。広朝殿、遠慮無きよう」

「兄者のそのお言葉だけでも、広朝、救われる思いでございます」

 労るように頷くと、氏朝は、

「これにて散会する」

 持朝は不服ではあったが、散会を告げる氏朝にそれ以上喰い下がれなかった。


 兵二十ばかりを召集した持朝が密かに結城城を抜け出したのは、翌日の夜明け頃だった。 兵と云っても鎧武者ではなく、隠密理に広成と結の方を天翁院から脱出させるに適した乱破の者どもを率いての出陣だった。

 あと数町で鬼怒川の河畔まで来た。

「大殿に知られたら結城から追放ですね。若殿…」

 それ程困惑している風も無く、むしろ遠う足にでも向かう気な口調で阿見小一郎が云った。

「心配するな。父上から追放を言い渡されたら、私の直臣になれば良い」

 持朝は、敵への目晦ましに猟師の形(なり)をした己と小一郎を見比べた。

 いかさまにも侍臭さを払拭できない自分に比して、元猟師であったとは云え小一郎の化けぶりは見事だった。どう見ても猟師其の物で身の熟(こな)しも堂に入っている。

「若殿は足音が大きいですな。もっと小股で摺り足で歩くとそれらしくなりますぞ」

 率いた乱破の頭・つくばねの玄明がつけ足す。玄明は筑波山神社の神人を本業とする乱破である。

「あの堤の向こうが鬼怒川です。渡れば下野になります。国境には警戒の兵が駐されているかも知れません。若殿はここでお待ちを…物見を出します」

 玄明は顎で指図すると三つの影が音も立てず駆けて行く。その影が土手を越えるやいなや短い悲鳴がした。

「いまの悲鳴は…若殿…まさか…」

「やられたな、待ち伏せだ。…河畔では丸見えだ。河岸の茂みまで走るぞ。遅れるなよ、小一郎」

 背に負った藁筒に忍ばした大刀を抜き放った持朝は藪を目がけて駆けた。後を追ってくる足音で小一郎がついて来ているのを感じながら藪に飛び込んだ。すぐに小一郎も飛び込んできた。玄明と彼の手の者は藪の前に陣取り守りを固める。

「馬鹿野郎、なんのつもり…玄明、中にはいれ。そこでは狙い打ちじゃ」

 土手上に弓を構えた複数人の武者が現れた。矢が放たれ、仄暗い曙光に拘らず玄明の手下に命中した。

「無駄な手向かいは止めよ。結城の惣領が雑兵の手にかかるは末代までの恥であろう。大人しく出てくれば武士らしい最期を遂げさせるぞ。」

 上杉清方が大音声で叫んだ。

関東管領自らが朝駆けとは御苦労な事よ…余計なお世話など気遣い無用ぞ。斬り込んでこい。御相手仕る」

 持朝は負けぬ大音声で返した。

「小山広朝が出てくるかと思っていたらお前が出てきたのには驚いたわ。総大将の嫡子を討ち取るのだ。故にわざわざ儂が出張って来たのだ、有り難く思え」

「こうなれば斬って斬って斬りまくって死ぬまでだ。覚悟は良いか、小一郎、いくぞおっー」

 言うやいなや持朝藪から飛び出した。だが、持朝より一呼吸早く小一郎が飛び出した。

「出たぞー射殺せー」

 何本かの矢が小一郎目がけて放たれる。藪を背にして蛇行して走る小一郎に矢は当たらない。

 その僅かな刹那に持朝と玄明達は土手に駆け登る。

 持朝は、射手の胴丸の隙間に切先を突き入れる。玄明と手下は苦無(くない)で喉を斬り裂く。土手上の弓兵を斬り倒し土手下を見下ろす。土手下の河川敷には上杉の兵が展開している。数は二百はいる。

「さすがにこれはだめだな…玄明、逃げよ。お前達は結城の家臣ではない。俺につき合う義理はない」

 いつの間にか傍らに小一郎が戻って来ていた。

「何故戻ってきた。お前は城に無事帰り顛末を父上と朝氏殿に伝えてくれぃ。早う行け、まだ間に合う」

「何を痴れた話…若殿を見殺しにして大殿に会わせる顔などありませんよ。若殿こそ、私と玄明で防いでいるうちにお逃げください、さっお早く…」

 そうしている間にも討手が間合いを詰めて来る。その向こうの手勢の先頭で清方が薄ら笑いを浮かべ見物決めこんでいる。

「クズが…、喰らえ」

 玄明が清方目がけて苦無を放った。しかし、苦無は清方の手前で地面に刺さったのみだった。命中させるには距離があり過ぎた。

関東管領の儂に得物をなげるとは、無礼にもほどがある。かくなる上は、嬲(なぶり)り殺しにしてくれる。皆の者、かかれー 八つ裂きじゃ」

 甲高い笛の音が中空を横切った。聞き覚えのある音だった。

「これは鏑矢(かぶらや)の音だ。一体なんだ」

 眼前の敵勢の頭上に矢が降り注ぐ。

「敵だー」

「結城の援軍だぞー」

「挟まれた、もう逃げられん」

 眼前の敵兵の後方が乱れ崩れる。

 一群の騎馬武者達が、鏃(やじり)の切先が刺さるが如く清方軍を分断していく.、手向かう兵も逃げる兵も皆を撫で斬りにして。

「我こそが下野の主(あるじ)小山城主小山広朝なりー 主の留守に城を盗むなど野盗の仕業、この太刀にて成敗してくれよう」

 敵の血糊を被った広朝は鬼神とてさもありなん修羅の姿だった。普段の沈着冷静な叔父からは思いも及ばぬ変貌と持朝は慄(おのの)きを感じた。だが、妻子を危機に陥れた幕軍への怒りは妻子が有る持朝にも痛感できた。

 斬り込んできた広朝隊は持朝達を衛る形で前面に展開した。

「叔父御…、何故わかったのですか」

「儂ではない、兄者よ。早う乘れ…」

 広朝が騎馬を寄せ、己の後に持朝を引き上げた。

「父上が…」

「あやつの目の色は、このまま手を拱(こまね)いて引き下がる目ではない。必ずや城を抜け出して小山に向かう。目を離さんでくれ。息子を頼むとな…親とは有難きものよ」

「あの狸親父が…」

 親父殿にはまだまだ敵わぬと持朝は得心した。

「持朝、我が妻子のため…礼の言葉もない程に…」


 広朝の奇襲に虚を突かれた幕軍であったが、包囲を建て直した。

「油断を突かれたが、僅かな小勢で突っ込んでくるなど飛んで火に入る夏の虫ではないか、愚か者どもめが。一人残らず討ち取ってくれる、覚悟せい」

 足利清方が馬上で吼えた。

 その刹那(せつな)、疾風(はやて)の音(ね)がした。清方の隣の寄騎が叫声を上げ、血を吹き、落馬した。地面に転がった武士の背には深々と矢が刺さっている。

「愚か者は、清方、貴様じゃ。寄せ手が若殿の挙動を察知し追撃するは想定の内よ。関東管領足利清方が掛かるは想定外だったがな。ほれ背後を見てみぃ」

 蔑むように広朝が云った。

 怒気を露わにしながら清方は振り返った。清方は驚いた。

 鬼怒川を挟んだ下野側の川岸から将(まさ)に渡河を終えんとしている大軍であった。

「あれは… なぜ、あれが…わけが分からん」

 大軍以上に清方、いや、幕軍を驚かせたのは、総大将らしき先頭の武者の頭上で翻る軍旗であった。鬼怒川河畔の朝風に踊る旗は、白虎の如く猛々しかった。

「二つ引き両の家紋の旗があそこに…」

「足利の旗がなぜにひるがえるのか…」

鎌倉公方は滅亡したはずでは…」

「わしらは賊軍になってしまうではないか…」

幕軍のあちらこちらから驚愕と恐怖にかられた悲鳴が上がる。


「うぬら、兵を退けー! 我こそが第五代鎌倉公方、足利朝氏である。我が掲げし二つ引両(ふたつひきりょう)の御旗に刃(やいば)を向けるは、即(すなわ)ち逆臣也。汝(なんじ)、清方、私欲に目が眩み主君の何たるかを忘れたか」

 鎌倉公方家初代・足利基氏公が関東下向の砌(みぎり)に等持院足利尊氏)より拝領した白糸褄取威大鎧と黒韋腰白威筋兜に身を包み、牛目貫を脇に差し、右手に大喰を突き上げた第五代鎌倉公方・足利朝氏(注1)の初陣、初名乗であった。


注1 :ここで登場した第五代鎌倉公方足利朝氏は史実では存在しません。あくまでも物語上のフィクションです。何卒ご了承くださいませ。ただし、春王達三兄弟は実在しました。

 

 


次回ヘ続く

 


※この物語は史実をベースにしておりますが、筆者の創作も多分に盛り込まれております。読者諸兄には何卒ご了承くださいませ