叛乱 結城合戦 第23話

 私の躰は汚れている…心は躰より穢れている。…お前の今の言葉は同情か…それとも…お前は…こんな鬼を好いてくれるというのか……

 

剣に生き

剣に生き

  • Daichi Hirahara
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「なぜ止まる。かすみ、さっ行くぞ」

 足下は砂丘が途切れて草地になっていた。

「鷹丸、お前…先に行ってくれ…後から追いつくから…」

「後からって…まさか、かすみ…」

 心中を語る代わりにかすみは手にしている小太刀を帯の背に差した。

「才賀丸の怖さは、お前が一番知ってるだろう。俺等が戻ったところで大して加勢にならない…」

「やっぱりわたし…やっと会えた兄ちゃんと共に闘いたいよ。たとえそれで死んだとしても…それにあの悪鬼から逃げてばかりのままじゃ…悔しすぎるじゃないか」

 本音を云えば、鷹丸は才賀丸が怖かった。鷹丸の武芸武術の技量は才賀丸のそれに遠く及ばない。技量差以上に鷹丸の心底を冷えさせたのは、才賀丸の人の命を塵芥(ちりあくた)のごとく見棄(みす)つる狂気と酷薄さだった。

 怖じ気が鷹丸の面貌に表れたのだろう。もう何も云わずかすみが砂丘に取って返した。

「待てぇ…、かすみぃ…」

 かすみは、返事の代わりに駆ける脚を更に速めた。

「チクショゥ、しかたねぇ」

 鷹丸は明けきった空を仰ぎ、大声で叫んだ。叫ぶと同時に全速でかすみを追った。

 

 棒立ちになっている玄明に才賀丸が不審の眼を向けた。

「ならば、死ねぇ」

 才賀丸は玄明の頭頂に偃月刀(えんげとう)を振り下ろした。ガッと鈍い音がした。確かな手応えが三日月形の大振りの刀身から才賀丸の両手に伝わった。

「フッ、とうとう、つくばねの玄明を仕留めたぞ…フッフ…ファファファ…」

 才賀丸が高笑いした。だが、それにまさる玄明の高笑いが響いた。

「ハハハッ、馬鹿め、笑いがとまらぬわ。何を切ったかとくと見よ、この愚か者が。ハッハッハッ」

「何、世迷い言を言いやが…なぬ…これは」

 確かに玄明を真っ二つにした手応えが才賀丸の手に残っていた。のはずが、目の前で真っ二つになっているのはかすみを縛っていた丸太柱だった。

「クソッ、空蝉(うつせみ)か、小賢しい術を…コソコソせず勝負しろ、出てこい、玄明」

 玄明を見失った才賀丸が辺りを見渡した。

「逃げも隠れもせん。さっきからここにおる」

 玄明は、真っ二つの丸太柱の陰を用いて才賀丸の視野の盲点に潜んでいた。玄明が盲点を出て才賀丸の正面に立った。

「空蝉の次は木の葉隠れか……鷹丸達の逃げる時を稼ぐつもりか。次こそ死ねぇ」

 偃月刀を玄明の頭を目がけて満身の力を奮った。

「懲りないやつよ」

 玄明は、そう呟き、偃月刀の太刀筋を見切って、玄明は後に飛び退いた。

 才賀丸は、砂地に深く打ち込まれた偃月刀を引き抜こうとした。ところが、大振りの刃は砂地から抜けなかった。砂に埋まって隠れている太い流木に刀身はしっかり挟まれていた。才賀丸の判断は早かった。偃月刀を放し、すぐさま腰の大刀を抜き放った。才賀丸の構えに一寸の隙もなかった。才賀丸がジワッと間合いをつめてきた。発された殺気を弾き返すべく玄明も間合いをつめた。

「オリャァ」

 才賀丸の短い気合とともに縦一文字に大刀が振るわれた。

 切っ先を左手で柄を右手で支え、才賀丸の剛刀を玄明は受けた。すぐ眼前で刀身同士が打(ぶ)つかり、火花が爆(は)ぜた。鉄(かな)っ気が玄明の鼻腔を埋めた。才賀丸の大刀を受けるには玄明の忍刀では華奢に過ぎた。

「ソレソレ…鼻を落とそうか、耳を削ごうか…玄明、腐れ縁のよしみだ、好きを選べ。それとも、一息に脳を叩き割ってやろうか」

 万力でギリギリと締め付けられているような腰の入った力だった。加勢のため砂丘を駆ける小一郎の姿が目の端に入った。

(間に合うか…)殺戮に酔って喜色で紅潮した才賀丸の顔が一尺の内にあった。

 才賀丸が、今ひと息に力を加えた。切っ先が玄明の額を薄く撫でた。撫でた一筋が切れて温いものが流れた。流れた温みが眼に入り、視界が朱く染まった。

 喜色でニヤついていた才賀丸の顔から感情が消えた。

「もう死になさい、玄明…」

 子を眠りに誘(いざな)うように囁いた。

 才賀丸の体がビクッと震えた。陶酔していた眉間に苦痛の皺が刻まれた。

 膝を崩した才賀丸の背後に人がいた。

(小一郎、間に合ってくれたか…エッ、お前…、…馬鹿な…)

 背後にいたのは小一郎では無かった。全身に憎悪をまとったかすみがそこにいた。

「なぜ、いる…なぜ…」

 いてはならない妹の姿を見ても信じられない玄明だった。

 肩当てと首当ての僅かなすき間にかすみは小太刀を突き入れ、才賀丸の間合いから機敏に抜け出した。肩の出血など歯牙にもかけず、才賀丸は至上の歓喜に震えていた。

「早魚(かすみ)、おまえが戻ってくると知っとったぞ…おまえは俺が手塩にかけて造った玩具(おもちゃ)よ。どんなに俺を憎もうが俺から離れられんのよ」

 もう玄明など眼中になど無く、才賀丸はかすみへ手を伸ばした。

「さぁこっちに来い…俺の手中に落ちよ。こちらへこちらへ」

 恐怖でかすみの目元が歪んだ。それは一瞬ですぐ侮蔑と憐憫が綯(な)い交ぜになった。

「薬のやり過ぎだ。もはや狂ってる」

 そう云い小一郎が玄明の横に並んだ。

「俺が引導を渡してやるよ」

 玄明は、腰に差した真新しい苦無(くない)を手にして云った。 

 どうするのかと小一郎が尋ねた。

「闘う者である限り覆う事ができない急所がある」

 かすみを水際まで追いつめている才賀丸の背後に玄明が近づいた。

 その時、かすみと才賀丸の間に鷹丸が飛び込んだ。才賀丸は反射的に大刀を鷹丸の肩口から袈裟懸けに薙いだ。鷹丸は、才賀丸の一撃をまともには受け止めずに両腕に嵌めた曲がりの深い湾刀の特性で弾いた。かすみを背にして鷹丸が湾刀を構えた。

「才賀丸…お前の相手はこっちだ」

 玄明が諭すような口調で才賀丸を呼んだ。

 ゆっくりと振り返った才賀丸は、もう事態を理解できないのだろう、虚ろな目で玄明を見た。

 顔面を覆う面甲(めんかぶと)で唯一晒されている目に苦無を深々と差し込んだ。左目の眼底を貫き、脳に達した感触が玄明にあった。

「せめてもの情よ、苦しまず死ね」

 才賀丸は、声も発せず、大の字になって渚の浅い海に沈んだ。

 

 かすみは鷹丸に手を引かれて玄明の前に来た。

「この大バカ野郎…もどってきやがって…」

「ごめん…でも…」

 言葉はそれだけで、幸薄かった妹は、妹を心配し続けていた兄の胸に飛び込んだ。

 無言で抱擁する兄と妹から少し距離を取って、兄の盟友と妹の伴侶たらんとする青年がいた。

 抱擁を解いた玄明は、

「今度こそ鷹丸と結城へ向かえよ。俺達は西へ行かねばならんでな。御下命を果たしたら結城に帰る。またすぐ会える。それまで息災でおれよ」

 かすみはウンウンと何度も頷きかえし、

「兄ちゃんも元気でいてね。鷹丸と一緒に結城で待ってる。…もう…わたしを見失なわないでね」

 いま一度、兄と妹は名残り惜しげに抱擁した。玄明は身を離すとかすみの片手を鷹丸の手に託した。

「鷹丸、かすみを頼む。」 

「承知しました。もう決してこの手を離しません」

「じゃ、行くね」

 かすみは、初夏には中田島砂丘を埋め尽くす浜昼顔を想起させるように可憐に笑った。

 その可憐な笑顔が突如歪んだ。鷹丸の腕にすがるように倒れた。

 意味を為さない悲鳴を発して鷹丸が抱きとめた。

 かすみの背の急所に二本、盆の窪に一本の手裏剣が刺さっていた。

「早魚、誰にも…渡さんぞ…俺が死ぬならお前も死ね…」

 浜に打ち上げられた芥(あくた)のような才賀丸が妄執の刃(やいば)を放ったのだった。

「ヴォォ」

 奇声とともにかすみの小太刀をかざして鷹丸は才賀丸に馬乗りになった。首と云わず胸と云わず腹と云わず滅多刺しにした。

「もう止せ…死んでいる」

 小一郎が鷹丸を制した。我に返った鷹丸は、

「かすみ…かすみ…なんか云え…かすみ…」

 砂はかすみの血で黒く濡れていく。膝にかすみの体を載せた鷹丸が懸命に呼び戻そうとした。

「やっとお前と二人で生きていけるようになったぞ。傷は浅い…大丈夫大丈夫…頼む…俺を独りにするな。どうか、俺の嫁になってくれ…」

 鷹丸の呼びかけに応じるかのようにかすみが薄っすらと瞼を上げた。かぎろいが消え入るような口調で、

「私の躰は汚れている…心は躰より穢れている。…お前の今の言葉は同情か…それとも…お前は…こんな鬼を好いてくれるというのか……」

「好きじゃ…俺が好いた女は、お前ただ一人だ」

「鷹丸…、お前は私を害する者がいたら…いつも、さっきみたいに飛び込んできてくれたな。子供の頃も……今も…そうだった…」

 かすみの指が鷹丸の頬を探った。だが、その指先は鷹丸の頬には届かず力尽きた。

 鷹丸の慟哭(どうこく)は、打ち寄せる波涛(はとう)に勝(まさ)っていた。