かすみの追憶から中田島の砂丘に物語を戻したい。
砂丘の水際に深く突き刺された丸太柱には括りつけられ猿轡をされたかすみ、柱のすぐ脇には偃月刀(えんげつとう・刀身が三日月型の大刀)を砂浜に突き立てた才賀丸、才賀丸を真ん中にして右に虎丸と龍丸、左に獅子丸が控えていた。
才賀丸達は、海を背後にして搦手(からめて)の防御とすると小一郎は判じていた
(だがな、その周到さが命取りよ)と小一郎が素知らぬ顔で沖を眺めた。
「めずらしいな、才賀丸。陰から狙って的を仕留める術しか知らない才賀党の貴様等が、お天道様の照らすところで正々堂々と待ち受けるとは…。そうか、死出の旅路を前に後生をお畏れたか」
見下ろす高さの砂丘の頂きに立った玄明が大音声を上げた。
「大した啖呵だな、玄明。お前等こそ二人で来るとは…才賀党も舐められたものよ。お前が死んだ後でも妹は今まで通り俺が可愛がってやるでの、安心して往生せいや フフ…ところで、鷹丸は来てないのか、てっきり同道だと思っていたが…」
「あの小僧は使いもんにならん。ピーピー泣いた挙げ句、許しを請い、かすみを俺達に頼んでどっか消えちまったよ」
「だろうな、所詮クズはクズ。それに早魚(さな)の体はあんな小僧では満足させられんさ」
かすみの尻を撫でながら才賀丸がせせら笑った。かすみはその手を身を捩(よじ)ってかわそうとした。
「てめぇっ 殺してやる」
玄明が砂丘を駆け降りるべく踏み出した。
「急くな重蔵(玄明)。ここから動くな」
小一郎が玄明の肘を掴んだ。
「お前達が欲しいのはこれだろう。欲しいなら力尽くで奪ってみよ」
小一郎は、切れ目に書状を挟んだ竹棹を砂丘の頂きにさし、総寸三尺三寸の手槍を扱(しご)いた。
玄明は、忍刀を右手に、左手に苦無(くない・小刀状の手裏剣)を構えた。
「虎丸、龍丸、あの書状を奪い取れ、征(ゆ)けえぃ」
才賀丸が命じた。
虎丸と龍丸が一斉に砂丘を駆け登った。
小一郎まであと二間(約4メートル)、虎丸が宙を飛んだ。頭上で二回転…、小一郎の背後を取るつもりか…
小一郎は素早く足元の砂を掴んで投げた。空中の虎丸の顔に砂が命中。
平衡を失くした虎丸が落ちた。
「卑怯な真似しやがっ…、グフッ」 立ち上がった虎丸の胸板は、すでに小一郎の手槍に貫かれていた。虎丸の口と鼻から鮮血が噴き出し、その場に突っ伏した。
「虎丸るぅ…、おのれ、若造、よくもやりやがったな」
龍丸が鉄棒を振り回し小一郎に迫った。今、まさに鉄棒の一撃を振り降ろさんが瞬間(とき)、龍丸の背に玄明が放った三本の苦無が刺さった。
がしかし、龍丸は身震いして苦無を振り落とした。法衣の下には鎖帷子をつけているのだろう。
「おい、破戒坊主。小一郎は、お前が如き人のクズの手にかかるお方ではない」
「久しいの…玄明…独立不羈(どくりつふき)の志を捨て、大名の狗(いぬ)に成り下がりおって」
「亡八坊主に志をとやかく云われる程、このつくばねの玄明、おちぶれてはおらんわ。お前なぞトットと片付けてやる。俺の長年の標的(まと)は才賀丸だからの」
云うやいなや玄明が、龍丸の頸をめがけて苦無を放った。もちろん、誘いの一手だった。放れた苦無は、龍丸に難無く躱された。龍丸が苦無を躱す僅かな隙をついて玄明が龍丸に組み付いた。二人は一塊になって砂丘の頂上から谷へ転がり落ちた。
玄明の思惑は当たった。龍丸の鉄棒術は、相対する距離があってこそ威力を発揮する。組合ような肉弾戦では無力と云えた。
転がり落ちながら玄明は、龍丸の頸に鹿皮の平紐を巻きつけ締め技を決めていた。谷底で立ち上がった龍丸の頸には玄明がぶら下がり、全体重をかけて締め上げていた。龍丸の頸動脈が真赤に怒張していた。
見開いた白目がひっくり返り、短く悲鳴をあげた龍丸が倒れた。一旦、玄明は素早く龍丸から離れたが、すかさず、龍丸に馬乗りになって鹿皮が巻き付いた龍丸の喉笛を苦無で貫いた。
砂丘の頂では小一郎と獅子丸が静かに睨み合っていた。
「貴公も武士、拙者も武士、ならば獅子丸などと賤しき名前ではなく本姓名を名乗った上での尋常の果し合いといたしませんか。いかがです。拙者は、常州結城、結城中務太夫が家臣結城玄蕃友成と申す。貴公は如何」
「何を戯れ言…俺は武士などとうに棄てた。名も忘れた」
「身分、姓名を忘れても、矜持まで忘れてはおるまいと存ずるが…然(しか)らば参る」
小一郎はゆっくりと大刀を抜き八双に構えた。空と海の際に半身を上げた曙陽が大刀の物打で煌めき映えた。
居合者の獅子丸は、当然、抜刀せず、膝を折り腰を沈め、小一郎の体の動きを追うのではなく、体より一瞬だけ先に動くであろう気を全身で感じようと瞑目していた。
両者とも動かない。否、動けなかった。先に動いた者が斃(たお)される。
次回ヘ続く
※この物語は史実をベースにしておりますが、筆者の創作も多分に盛り込まれております。読者諸兄には何卒ご了承くださいませ