叛乱 結城合戦 第24話

 天道、是か非か……じゃな。幕府には幕府の正義があり、結城には結城の矜持がある。どちらが天道に適うかは誰にもわからん。ただ人は己が信じた道を行くしかない。それが天道と称される道かも知れぬな。厄介な事よ」

 

 

 


 かすみの亡骸を代わる代わるに背負った三人が、甲江山 鴨江寺(こうこうざん かもえじ)に辿り着いたのは、昨日の夕間暮れだった。

路々の寺に弔いを願い出た。だが、すでに中田島の一件は曳間宿(ひきまじゅく・現在の浜松)では周知の変事であり、関わりを避けたい寺院にはことごとく拒否された。

 才賀丸一党が逗留していた鴨江寺だけは避けたかった鷹丸だったが、途方に暮れた三人は山門を訪(おとな)った。

 寺男に来意を告げると寺男は頷き、無言で庫裏へ入った。

 かすみの亡骸を鷹丸は、いたわるように背負い直した。玄明が代わろうと云ったが、鷹丸は首を振り、肯(がえ)んじなかった。

 暫くの後、寺男は戻って来た。予想に反して、

「本堂へご案内致します。仏様はこちらにてお預かり致します」

 晒木綿が敷かれた戸板が上がり框(かまち)に運ばれて来て、かすみは丁寧に寝かされた。

 途中に湧き出ていた清水で玄明達三人はかすみの体を清拭した。血痕や汚れはきれいに流し取られており、まるで深く寝入っているかのような静謐な姿であった。

 三人は、本堂で源海和心に対面し、事の顛末を告げた後、かすみの弔いをお頼みしたい。そして、もし可能ならば尊山において荼毘に伏して頂きたい。遺骨は仏の故郷香取の霞ヶ浦に散骨してやりたいと代わる代わりに申し述べた。

 暫しの沈思の後、高僧は、

「委細承知つかまつった」

 とだけ云い、侍僧に諸事万端を命じた。

 半刻程経った戌刻頃(21時頃)、本堂において蕭(しめ)やかな読経が流れた。読経が終わり二人の僧は本堂を辞した。

 玄明達三人は、麗しく化粧されて横たわるかすみの枕頭に座り、無言のまま徒然(ぽつねん)としていた。

「火葬は…」

 鷹丸が誰に云うでも無く云った。

「仕方あるまい。到底香取までは連れて帰れまい…」

 玄明が絞り出すように云った。

「やっぱりそうか…」

 そう云った鷹丸が、突然立ち上がった。かすみの横顔を心に刻み込むように凝視した。それから懐から小柄を出し、かすみの黒髪をほんの少しだけ切り取り、胸元の懐紙に挟んだ。

「玄明様はいかがいたしますか…」

 鷹丸の問いに玄明は首を横に振った。

「俺にはこれがある…」

 玄明の首には香取の神紋が染抜かれた色違いの二つの護り袋が下がっていた。

「ご無礼を…」 

 鷹丸はそう云い、玄明の首からかすみの護り袋を外した。護り袋の口を緩め、切り取ったかすみの黒髪の一部を入れ、また玄明の首に戻した。

「お休みになられるなら次室に寝所をご用意いたしてございます」

 先程の侍僧がそう告げて去って行った。小一郎が侍僧の背に黙礼を返した。

「少し寝るか…」

 小一郎が二人に問うた。

「いや…夜が明ければ荼毘が始まる。それまでかすみの傍で…」

 玄明は応じて足を組み直した。

「お前はどうする…」

 答えは分かっていながら鷹丸にも小一郎は問うた。

 鷹丸は、かすみの黒髪を入れた胸元に手を当てたまま動かなかった。

「そうか…わかった。悪いが、俺は少し寝るよ。荼毘が始まったら起こしてくれ」

 かすみとの縁(えにし)の薄い我が身は遠慮すべきであろうと考えた小一郎だった。

 どれ程の時が経っただろうか…障子の外が白々としはじめた頃、数人ずつの僧と寺男が、荼毘の支度が整ったと告げ、かすみを柩に移し替えて運び出した。

 玄明と鷹丸、寝ていたはずの小一郎の三人が従った。

 

 


「御住職、昨夜は突然の願いをお聞き入れ頂き、かたじけなく存ずる」

 上座の僧侶に向き直り、改めて小一郎が口上を述べ、鴨江寺の住職・源海和心の前で小一郎と玄明が深々と叩頭した。

「なんのなんの…生前のかすみ殿が一時でも当山に起居していたのも何かの仏縁であろう」

 方丈(ほうじょう・主に住職の住まいを指す)の濡れ縁には鷹丸が片膝立ちで控えていた。鷹丸の首には白妙(しらたえ)が下がり、その中に素焼きの壺が包まれていた。

「云わずもがなではあるが、お三人はこれからどうなさる」

 源海はたずねた。

「私と玄明は、主命を果たすべく西に向かいまする。鷹丸は、香取に立ち寄ったのち、結城城に入城いたしまする」

 小一郎の言を聴いた源海は、

「天道、是か非か(注)……じゃな。幕府には幕府の正義があり、結城には結城の矜持がある。どちらが天道に適うかは誰にもわからん。ただ人は己が信じた道を行くしかない。それが天道と称される道かも知れぬな。厄介な事よ」

 完全に日が昇った鴨江寺の境内では、この年最期の蜩(ひぐらし)がうら寂しく啼いていた。

 

 その日の午の刻(昼時)、小一郎と玄明は西へ、鷹丸はかすみの遺骨を胸に東へと旅立った。


(注)天道、是か非か

公平とされるこの世の道理は、果たして正しいものに味方していると言えるのだろうか。疑わしいかぎりだ。との意味。

史記」伯夷伝から出典