前(さきの)関東管領殿、そなたの心中の苦渋は惻隠する。だが、私も武士、まして、今や鎌倉公方家の惣領である。喩(たと)え、身が八つ裂きになろうとも、父上の辱(はじ)を雪(すす)ぎ、鎌倉公方家の再興を目指さなければならないのだ
前節からの続き
永亨十二年(1440)五月 結城城 軍使来城
「大殿、大殿は何処におられる、一大事でござる…大殿、何処か…」
結城城内四つの館をつなぐ回廊を、大声で氏朝を呼ばわりながら東の館に飛び込んできたのは、大手口守護番の黒田将監持成の倅、新九郎であった。
「七郎、今日は何日になるか」
持朝、春王改め朝氏、安王、永寿王等とともに車座で朝餉(あさげ)中の氏朝が問うた。
「今日は五月八日です」
隣に座る永寿王の日干し鰈の身を解してやりながら持朝が応えた。
朝粥を啜り込んで椀を膳に戻すと、氏朝が
「意外に遅かったな。そうはおもわぬか、七郎」
「寄せ手の意思統一が捗々(はかばか)しく無いのでありましょう」
「大殿、やっ、若殿も、おっ…御所様までも」
回廊から氏朝達の様子を見て、新九郎は恐縮し立ち竦んでしまった。
「御無礼いたしました。ただ、一大事が発生した次第で…」
白湯を一気に飲み干した持朝が、
「幕軍から使者が来たのであろう」
「たしかに軍使が来ています。ただ…」
「ただとは…」
氏朝が朝餉の膳を傍らにやった。
「実は…」
言いかけたが、新九郎は空気を読んで言い淀んだ。
「御所様と御曹司はそのままお召し上がりくださいませ。七郎は儂と客殿に参れ」
「氏朝殿、私も一緒に、是非ともに」
朝氏は、着慣れない小袖の乱れを直し後を追った。
「春王様、お久しぶりでございます。ご立派に成られて…感無量にございます。このような仕儀にいたりましたが、この憲実、鎌倉公方への忠誠を決して忘れたわけではございませぬ」
幕軍の総大将上杉安房守憲実が客殿の下座に平伏して、上座の朝氏に言上した。
「私はこの度、元服し…」
「総大将自らの御来城、して御用向きは如何に」
氏朝は、無礼を承知で朝氏を遮り、言を重ねた。朝氏に視線を送り、まだ内情語らぬ方が良いとの意図を込めた。
「春王様、ここは開城していただけまいか」
憲実は朝氏に言上する。旧主の御曹司に願い奉る体を装い氏朝に云ったのだ。前関東管領としては一領主の氏朝に願うことはできず、かといって御曹司の朝氏に命令もできない。老獪な上杉憲実らしい。
「僭越ながらこの氏朝、全権を託されてもうす。開城の条件は、
一つ、当城におわす三人の御曹司の身柄の安全を約する事。
三つ、城内の将兵の身の安全を約する事。
この三点、如何に」
憲実の顔色がみるみる紅くなり、そして、青白く変わった。
「確約は出来ぬが最大限尽力致そう」
〈しかし、京におわす将軍家が許すまい。あの気性が故…〉憲実は心中で呟いた。
上杉憲実の脳裏には、二年前、あの時の痛恨と慙愧が生々しく蘇っていた。
永享十年(1338)、朝氏達三兄弟の父と長兄・主君の足利持氏、義久に対して保身の為とは云え合戦に至り、敗走させ自害に追い込んだ。(永享の乱)
降伏した持氏義久の助命嘆願の根回しと交渉に、憲実は持てる政治力と財力を傾注した。
しかし、権力の二重構造を断固として容認しない将軍義教は、持氏義久父子とその血脈の断絶を厳命した。
持氏は、蟄居処の永安寺(東京都世田谷区大蔵)で家臣共々自害して果てた。
春王三兄弟が逃亡したのを承知していたが、憲実は形ばかりの探索に終始し捕縛するつもりは無かった。日光山に潜り込んだとの消息を聞き、そのまま大人しくしてくれと願っていた。義教公が代替わりすれば風向きも変わると踏んでいたのだが…
「春王様、何故、日光山から降りて来られた… あと十年、いや、五年もすれば時勢も変わろうのに。結城殿、御曹司を担いて挙兵などされたのか…隠密理に匿われるだけになされなかったのか…」
しばし、荒涼とした重苦しさがその場に充満した。そして、その荒涼を消し去ったのは、やはり、朝氏だった。
「前(さきの)関東管領殿、そなたの心中の苦渋は惻隠する。だが、私も武士、まして、今や鎌倉公方家の惣領である。喩え、身が八つ裂きになろうとも、父上の辱(はじ)を雪(すす)ぎ、鎌倉公方家の再興を目指さなければならないのだ」
覇気に充ちた品格で朝氏は、家人前関東管領・上杉憲実に申し渡した。
気に打たれたように憲実は、平伏叩頭した。
「本日、訪(おとな)ったのは、これを春王様に御還しするため。左門、例の物をこれに」
次の間に控えていた侍臣多田左門が進み出て、紺緞子(こんどんす)の包を憲実の脇に置いた。
憲実はその包を捧げて、朝氏に献上した。
「包をお取り下さいませ」
憲実にそう云われた朝氏は包を開けた。
「これは…大刀と小刀…」
朝氏が柄を握る。
「この差料は、大刀が大食〈おおはみ〉、小刀が牛目貫〈うしめぬき〉。どちらも足利家の重宝、鎌倉公方家重代でござる。特に、牛目貫は持氏公がお腹を召された小刀でございます。春王様がお持ちに成るべき御刀と思慮し持参いたしました」
「前関東管領殿、忝(かたじけな)い。流浪の身であった私は未だ分限(ぶげん)に合う差料を持たぬ。そなたの心遣い痛み入る」
「春王様、その装束と髷から察するに元服を済まされたのか…あいや、それは聞きますまい。ただ、この後は憲実とお呼びください。所用は済みました。これにて御免蒙りましょう」
憲実は、再度、朝氏に平伏した後、
「中務大輔殿、お互い戦うは武士の習いなれば、せめて良い戦をしようぞ」
「承知いたした。安房守様も次に戦場で相見えるまでご健勝でおられよ。この後は敵味方、お見送りは致さぬ程に」
次回ヘ続く
※この物語は史実をベースにしておりますが、筆者の創作も多分に盛り込まれております。
読者諸兄には何卒ご了承くださいませ