叛乱 結城合戦 第2話 

春王殿、われら生まれ育ちは違えども、死するは同じ時、同じ場所。この竹林で誓いし限りは七生の友垣(ともがき)ぞ。爾(なんじ)が劉備玄徳たりえば、我、結城持朝は関羽雲長ならん

 


前節からの続き


永亨十二年(1440)二月 結城城内 氏朝の寝所


 内陸の結城は、海沿いの平や日立より寒さが厳しい。その分、大気は澄み、日光颪(おろし)が雲を飛ばし、月は蒼々と美しい宵であった。いつもより早く寝所に籠り月を眺めながら氏朝は人を待っていた。普段ならば火桶など使わぬが今宵は特別な思いがあり用意させた。

 庭に現れた人影は音もなく縁に畏まった。

「お召により長沼秀宗、罷り越しました」

「秀宗、庭から来て欲しいなどと無礼を申しかたじけないの。さっ早う中に入れ、入れ、火桶を用意してあるでな」

「昼間は家老とは云え殿にあのような雑言を吐きましたことお詫び申し上げます」

 昼間の評定の言い争いを気にしているのか、縁から上がってこない。

「お互い結城を思ってのこと。儂はお前の忠義を疑ったりはしない」

「ありがたき幸せ、嬉しく思います」

 縁に座った秀宗が平伏した。

「なら早く上がれ…寒くて叶わん」

「ならばご無礼つかまつる」

 座敷に上がり、引戸を閉めた秀宗がその場で再度平伏した。

「火桶をつかえ」

 火箸で炭を換え組み赤火を起こし、氏朝は秀宗の傍らに火桶を押し遣った。

「お前を呼んだは、格別の用向きを頼みたいからじゃ」

 秀宗は、特段驚いた様子もなく静かに聴いている。

 日光颪の哭くような音と炭が爆ぜる音がしばし辺りを包んだ。

「どのような御下知でも何也とお申し付けくださいませ」

 口を開かぬ氏朝の内心を察して、秀宗が先に口を開いた。

「うっうん… そうだ、酒でも持ってこさせよう。まずは呑もう」

 ビシッと音立てて扇子で床を叩いた。

「殿は幼き頃よりたまさか優柔不断な質がござる。御大将がそれでは困り申す。はっきり為されよ、さもなければ拙者は帰らせていただく」

 それでもまだ決しかね逡巡していた氏朝だったが、意を決して、

「ならば云うぞ」

 氏朝は立ち上がり、威儀を改めた。秀宗は頭を下げ命を待った。

「長沼備前守秀宗に申し付ける。本日ただいまより、結城家家老職を解き、当家追放に処する。速やかに退転すべし」

 さすがに驚きは隠せぬ様子の秀宗だったが、それでも努めて冷静な口調で、

「解せませぬ。如何なる理由で…、昼の無礼はお赦しくださったのでは…殿、なぜ…、得心がゆきませぬ。理由をお聞かせ下さいませ」

 茵(しとね)に一旦座った氏朝がくるりと秀宗に背を向けた。

「末子の四郎、連れで行ってぐれ…秀兄ィ」

 氏朝の肩が小刻みに震えていた。 

 束の間の無言のあと、秀宗が絞り出すような声で

「エッ…まさか……七郎、おめぇ…」

 氏朝は幼い頃、隣国下野国(栃木県)の小山家から養嗣子(ようしし)として結城家に入った。元服前でまだ七郎と名乗っていた頃だ。嗣子とは云え、他家から来た身には心細い限りであった。そんな氏朝の傅に選ばれたのが秀宗であった。

 秀宗は陰日向無く氏朝を庇い導いてくれた。十を越えたばかりの氏朝にとって九つ違いの秀宗は、まさに慈兄であった。元服後には、武将の気構えや政事の要諦を教え諭された。

「鎌倉以来十二代続いた結城を断絶させらねだぁ。おめさんには苦労がげるがもしれねえが、四郎担いでいづが結城を再興してぐれ。そんだがら、いまは逃げでぐれ」

 震えている氏朝の肩を力で抑え込み、自らの方に向きを変えさせ、いつかの教え諭すかのような口調で秀宗は云った。

「おめがそごまで考えでだが、なら、もうなにも云うごどはねえ、四郎は必ずや結城の頭領すっから 七郎…安心して死ね」

 床に両手をついたまま氏朝が、

「秀兄ぃ。多賀谷氏家(たがやうじいえ)を形ばがしの討手に差し向げるっぺよ。あいづも切れ者だがらかならず頼りになるはずだっぺ」

「けんど、氏家は納得づぐが?」

「心配すんな。あいづは頭がいい男だよ。秀兄ィが四郎連れで逃げだ、討手になれど云えば全で察する。でーじょーぶだ」

 天を仰ぎ大きく息を吸い込み、そして、ゆっくり吐いた後、秀宗は深々と平伏し、頭を伏したまま、

「この長沼秀宗、命に替えましても四郎様をお守りし、結城の社稷(しゃしょく)を必ずや再興してみせましょうぞ。殿、ご照覧あれ。では、これにて、おさらばでございます。武運長久をお祈り申し上げます」

 と云い、入って来たのと同じように音もたてず辞去した。

 翌朝、長沼備前守秀宗は一族と氏朝の四男、三歳の四郎を連れて結城城から逐電した。

 城内では家老の逐電を、しかも、主君の末子を人質にしての逐電を詰(なじ)る空気で満たされた。

 氏朝の激怒は怒髪天を衝く有様で、直ぐさま、氏朝の腹心である多賀谷氏家が討手の命を受けた。家臣城兵衆視の中、氏朝は多賀谷氏家に厳命した。

「秀宗の首級を取るまで結城の地を踏むこと能わず。秀宗を地の果てまでも追いつめ、かならずや奴の首を我が面前に供せよ。よっっく分かったな、氏家…、よーくだぞ…わかったならば行け」

 探るような眼つきで氏朝を見上げていた氏家は、突然、顔を歪め地べたに平伏した。

「承りましてございます。殿の御命令必ずや守りまして全う…いたします。ウウッ」

 氏家は堪らず嗚咽がでた。が一息だけ点くと、

「では、この場より直ぐ逆臣秀宗を追いかけまする。殿、これにて御免」

 立ち上がった多賀谷氏家の表情はいつもの聡明さを取り戻していた。

 

 

竹林の誓い

 

 結城は豊穣の地であった。関東平野の北辺に位置し、北関東一の大河である鬼怒川とその支流の田川流域に立地している。故に農耕には好立地と云えた。

 鬼怒川は、またの名を絹川(衣川)とも表す。普段の穏やか流れは絹布が如く滑らかであるが、一度荒れ狂うと文字通り「怒れる鬼」の形相を見せる。日光連山を躍り出た急流が、一気に関東平野に流れ込む、当に怒れる鬼の所業であったろう。しかし、洪水が運んできた肥沃な土壌が結城を豊穣の地とした。エジプトならぬ結城は鬼怒の賜物であった。

 鬼怒川は、古代、「毛野川」と書いた。北関東一帯は古代豪族「毛野氏」の治める地であった。旧国名の上野(こうず毛)下野(しもつ毛)はその名残である。現在の表記である「鬼怒川」になったのは、意外にも明治九年からである。今は利根川に合流している鬼怒川であるが、江戸時代初期の開削工事までは現在の香取辺りで太平洋に流入する独立水系であった。

 農耕だけでなく、結城は奈良時代からすでに養蚕が盛んで、絹布の一大産地であった。鬼怒川を流通路として関東は云うに及ばず、室町期の商業経済の萌芽(ほうが)と相俟(あいま)って、諸国に広がり、後世の「結城紬」の基となった。

 この豊かさが、結城氏の長い繁栄の根幹であり、氏朝の今回の決断の後ろ楯になったのかもしれない。

 結城の若殿である結城持朝は兵糧や武具の調達に多忙を極める毎日を送っていた。

 城兵凡そ一万人が一年間の籠城戦を戦い抜く為に必要な兵糧は、米だけでも一万八千石(約三百万リットル)である。幸いにも収穫後の如月(二月)、結城には有り余る程の米がある。 持朝の頭を悩ましていたのは武具、中でも矢の不足が深刻であった。刀剣と違い矢は消耗品であり、まして、接近戦になる野戦と違い、この度の戦は籠城戦である。矢数は勝敗の帰趨を決める。

 もちろん、武家の居城結城城だ。相応の矢数の備えはあるにはあるが、天下の兵を向こうにして援軍どころか補給路もままならない戦である。できるだけ長く籠城し、諸方の大名小名を調略し、一大勢力を築き上げる。唯一無二の結城が生き残る道であると持朝は考えている。

 そのためには城内の備蓄を最高域まで高めねばならない。

 関東中に放った乱波(らっぱ)共の報告では、関東管領上杉清方軍は鎌倉に集結、駿河守護今川範忠は駿府を発した。信濃守護小笠原政康は上州厩橋城(前橋)に入城した。来月には結城に乱入するは必定であった。

「者共急げ!矢竹を切り集めよ。敵はもう直ぐそこぞ」

 竹を刈る手を動かしながら呪文のように唱え続ける持朝に用人の丸安賀衛(まるやすよしえ)が、

「若殿、十人や二十人じゃ丸一日かけても埒があきませぬぞ。もっと人を掻き集めねば…」

「お前に云われずともわかっている。だが、皆、其々持ち場があって人が割けぬ。アッ、痛っ…、お前が余計な口を叩くで竹のささくれが指に刺さったではないか」

「ならば、百姓達を雇いましょう。ならば、千や二千はあっと云う間ですぞ」

「それは出来ん」

「何故でございますか」

 折角思いついた妙案を足下に否定された賀衛が不服気に持朝に振り返った。

「よいか、今にも敵が攻め寄せて来るかも知れないこの時、百姓を入城させられない。万が一の事態になれば来年の作柄に影響が出る」

「エッ…しかし…来年の作柄よりこの結城が生き残らなければ来年の作柄など意味がないのでは…」

 竹を切っていた手を止めた持朝が、

「皆の者もよく聞け」

 いつになく厳しい持朝の口調に他の郎党達も手を止め、片膝を着いてかしこまった。

「結城がなぜ十二代の長きに渡ってこの地に割拠しえたかわかるか?」

 各々顔を見合わせているばかりで答えは無かった。

「それはな…結城の地が繁栄し続けたからだ。なら結城の繁栄とは何か。結城は水利に恵まれ作物の実りもよく、古来より蚕を養い布を織り諸国に売り捌く。そんな民の不断の生業(なりわい)こそが結城の繁栄の源ぞ。我等結城一族はその根源の上に乗っておるのだ。もし万が一、此度の戦で結城氏が滅んだとしてもだ、結城の繁栄がある限り必ずや我等は再興できるのだ」

 畏まっていた郎党達は、地面に突っ伏して嗚咽を洩らす者、中には号泣する者もいた。


 今日刈取った矢竹を荷車に載せ郎党達が城に帰って行くのを見送りながら、持朝は明日刈取る竹林を思案していた。

 辺りは夕の赭と宵の墨が混然となり奇妙な安堵感を持朝に与えた。その安堵は、夕景に薄っすらと輪郭を浮かべる結城城が、すでに実体のない幻影に見える程甘美な安堵だった。〈だめだ、だめだ…、次期当主の俺が弱気になってどうする。さっきの能書きはなんだったんだ。しっかりせい、七郎…〉

 己を叱咤した持朝は、薄暮の中に皓い影があるのに気づいた。その影はゆっくりとこちらに近づいてくる。

「このようなところでお独りとは少々不用心ですよ。若殿」

 藍白の水干を身に纏い、芦毛に騎乗した春王が笑って云った。湯浅五郎を伴にし馬上に手綱を締める春王は、もはや源氏の若武者の気品があった。

 春王の佇まいは、貴種のそれであり、一朝一夕に身につくものではないと持朝は感じ入った。

「御曹司こそ不用心な。結城領内ならまず安心とは思うが、管領方の刺客が潜んでいるかもしれない」

「拙者が早駆けの稽古にお誘いしたのだ。勝手に城外に出たのは私の無分別、誠に相済まぬ」

 すぐさま五郎が云った。

「何を云う。私が無理を云い早駆けの稽古に誘い出したのです。五郎は悪くはない」

 二人とも思い詰めた口調でお互いを庇い合う。

 庇い合う春王と五郎主従は、実の兄弟のようであった。鎌倉を逃亡して以来、主従の垣根を超え兄弟のようにして辛酸を耐え忍んだのだろう。

「あいや、これはこまったな。私は咎めているのではない。お二人して謝られては私も立つ瀬がないわ。アハハ…こまったな…御曹司も五郎殿も笑ってくれよ」

 「フッ、フフ、アハ、アハハ…若殿の仰せじゃ、五郎!笑え笑え」

 十三歳の子供の屈託の無さで春王が笑う。常に能面の如き五郎さえも破顔していく。

「ところで、先程の若殿のお言葉には感じ入りました。若殿を領主に仰げるとは結城の民は果報者ですね」

 春王は芦毛から降り、首紐を五郎に預けた。

「聞いておられたのか、いやお恥ずかしい」

「恥ずかしいのは我等足利一門です。京の将軍家も鎌倉公方家も権力に固執した結果、畿内も関東、いや、全国津々浦々まで戦乱を広げてしまった。もし、私が生き残れたならば、この国を…無理ならば、せめてこの関東だけでも戦のない地にしたいものです。その時は必ずやご助力下さいませ。どうか何卒、持朝殿」

 持朝を見上げる春王の両の眼から涙が伝い流れた。

 戦乱の中で木葉のように流されて行く我が身の不甲斐なさなのか、それとも、関東を統べる責務有る家に生まれながら責務を全うできない不甲斐なさの表れなのか…

 戦乱の時代、権謀術数にのみに明け暮れる為政者が、とうに忘れてしまっている真っ直ぐなもの「高貴さは義務を強制する」を春王の涙に見た気がした。

「春王殿、われら生まれ育ちは違えども、死するは同じ時、同じ場所。この竹林で誓いし限りは七生の友垣(ともがき)ぞ。爾(なんじ)が劉備玄徳たりえば、我、結城持朝は関羽雲長ならん」

 これまで主君を持つなど露ほども考えてなかった持朝だったが、春王が主君ならば死に甲斐もあるなと思えた。

「御曹司、男子が人前で涙など見せてはなりませぬ。それに持朝殿、あと一人足りませぬ」

 五郎がボソリと云う。

 涙を水干の袖で無造作に拭い、高らかに春王は言い放った。

張飛翼徳は、もちろん五郎おまえだよ」


次回ヘ続く


※この物語は史実をベースにしておりますが、筆者の創作も多分に盛り込まれております。

 読者諸兄には何卒ご了承くださいませ

 もし良かったら次回もお読み下されば嬉しく思います。